糞つきし寒卵珠のごと籠に
本復が待たるる人へ寒卵
藁苞に提げて見舞の寒卵
白赤の混じる寒卵藁苞に
寒卵無病息災唱へつつ
小屋の戸をくぐり入りては寒卵
炊きたての飯の匂はし寒卵
寒卵というのは栄養価が高いそうである。
というのも、この時期繁殖期にあるからだそうで、この厳寒の時期人間はそのありがたいものをありがたくいただくことで「命」に感謝したのであろう。このところあまり生まなくなったが暑さのせいだろうか、それともどこか具合でも悪いのだろうかか、ときにはそんなことなども考えながら小屋にかがみこんで卵を取りに入ったことだろう。
現代はと振り返ってみれば、ケージのなかで毎日毎日人工飼料を与えられ、繁殖ではなく人間の食のためだけに卵を生ませられる鶏やその命に思いを馳せることはない。ただ物価の優等生とされる無精卵が大量に生産され消費されるだけである。
したがって、スーパーに並ぶ卵は冬だからといってとくに珍重されるわけでもなく、むしろ最近は「地卵」だの「ブランド卵」といった生産地や生産方法に拘ったものが差別化され喜ばれている。
掲句は昔を想像して詠んだものだが、現代に寒卵の句を求むるとすれば、それは鶏を自らが育て飼う人にしかできないものだろう。
昔はどこの家も鶏を飼っていましたよね。
夕方になると放し飼いにしその後、鶏小屋に入れるのは子どもの役目でした。
陶芸を趣味にする友人が今年の干支、酉を焼いてくれました。
なかなかリアルに出来ていて玄関を飾っています。
羽の重なりようが難しかったとのことです。
鶏といえば、最近はインフル騒ぎで大量処分されるニュースが絶えないですね。不衛生な環境が放置されたまま、渡りシーズンが来るたびに、ますます猛威をふるっているようで、いつ大爆発おきても不思議ではないような。
怖い話です。