二個目もうありがたみ失せ寒卵

溶きながら目は鍋のなかをのぞいている。

すき焼きにはやはり卵がつきもの。
今が旬だという卵。
肉のうまみをうまく包み込んでくれてさらに甘味がます。
一個目があっという間になくなると、あとはいくら「たれ」をうまく調整しようとも卵のマジックにはまず勝てない。卵の虜になってしまっているのである。

自然のもの

寒卵小ぶりと言へど殻固し

鶏舎を抜け出して近くを徘徊しているのもいる。

ゆったりとした鶏舎でゆとりの飼育をしているようで、卵はやや小ぶりながら殻もしっかりしている。丼のご飯に落としても黄味がぷっくらとしていて簡単には崩れない。
いかにも滋養ありそうな寒卵である。
ぐるぐると箸でかきまぜて一気にいただく。有機無農薬野菜の漬け物だけがおかずでこれがまたうまい。
こういうものばかりいただいていると体に何か力がわいてくるような気がする。
人工的なものばかりに囲まれていると、こうした自然に近いものにふれる機会が少ない。自ら求めて探し回らなければならい時代である。

新発見

割りてやる老々介護寒卵

納豆、生玉子を混ぜる。

家人の手術であらためて思ったのだが、利き手がきかないと不都合なものは多い。
なかでも包丁は危険がともなうのでなおさらである。
おかげで黄味が偏らないよう、ゆで玉子をうまく作れるようにはなった。ちょっとしたこつがあるのだった。
これからもまた新しい発見があるかもしれないと思うと、老々介護も苦にはなるまい。

産みたて

寒卵落として揺るる椀の黄味

物価の優等生、卵。

一年中豊富に出回っている。
しかし、子供の頃の記憶では、自宅で飼ってもいなかったのでほとんど手に入らなかったようである。それだけ貴重なものだったのだが、とくに寒の卵は栄養に富んでいるとかで珍重されたようである。
たまに親戚に遊びに行って、産みたての卵を手にしたらほんのり温かかった。そのまま食卓へ、まだなま温かいものを玉子飯にいただいたことが懐かしい。

オマージュ

父に出て子らはシリアル寒卵

「卵より海苔が好き」「ふりかけがいい」。

子供は卵が好きだというが、それは卵焼きのことであって生卵ではないのではないか。
現にわが家の子供たちは卵かけご飯より、圧倒的に納豆ご飯が好きだったし、家人もあまり好きではなく食卓に滅多に生卵が乗ることはなかった。家人はいまでも海苔派。おかずがなくなると残りのご飯を海苔だけで食べている。
そう言えば、家人に懐いた先々代の猫も海苔大好き。しかも上等かつ湿気てない海苔にかぎるのだ。グルメだったのである。

いっぽうで自分だけ卵かけご飯を食いたいとは大きな声で言えず、せめて句の上では逆説的オマージュとして家父長の威厳を取り戻すのである。

栄養価

糞つきし寒卵珠のごと籠に
本復が待たるる人へ寒卵
藁苞に提げて見舞の寒卵
白赤の混じる寒卵藁苞に
寒卵無病息災唱へつつ
小屋の戸をくぐり入りては寒卵
炊きたての飯の匂はし寒卵

寒卵というのは栄養価が高いそうである。

というのも、この時期繁殖期にあるからだそうで、この厳寒の時期人間はそのありがたいものをありがたくいただくことで「命」に感謝したのであろう。このところあまり生まなくなったが暑さのせいだろうか、それともどこか具合でも悪いのだろうかか、ときにはそんなことなども考えながら小屋にかがみこんで卵を取りに入ったことだろう。

現代はと振り返ってみれば、ケージのなかで毎日毎日人工飼料を与えられ、繁殖ではなく人間の食のためだけに卵を生ませられる鶏やその命に思いを馳せることはない。ただ物価の優等生とされる無精卵が大量に生産され消費されるだけである。
したがって、スーパーに並ぶ卵は冬だからといってとくに珍重されるわけでもなく、むしろ最近は「地卵」だの「ブランド卵」といった生産地や生産方法に拘ったものが差別化され喜ばれている。

掲句は昔を想像して詠んだものだが、現代に寒卵の句を求むるとすれば、それは鶏を自らが育て飼う人にしかできないものだろう。

滋養満点

喉ごしの温みはつかに寒卵

毎日卵を取る役得といおうか。

産みたてを生のまま飲んでみたら、喉に僅かに温みを感じたのである。
今ではほとんどの家では、卵はスーパーで買うものとなっている。
冷蔵庫保管の卵など、喉ごしはおろか味でさえ何も感じないだろう。
だいいち、鮮度が心配で、とても生のまま飲み下そうという気持ちにはなれない。
せいぜい、卵かけご飯が関の山である。

寒の卵は滋養が高く、貴重なものとされていた時代の話。