末期の水

吸呑に母に吞ませる寒の水

箱の名前を確かめたら「薬のませ器」とある。

何ともイケテない名だなと思ったので、ウェブをうろついたら「薬吞器」−>「吸呑」とヒットして、やはりいい名がついてたじゃないかと合点がいった。「すいのみ」は日本人の感性にはいちばんしっくりくる音。
動けない病人に薬の水を飲ませるには便利な例の器である。
母は秋に逝ったのであるが、食べ物も水も受け付けなくなった最期はこの吸呑で本人の気の済むまで水をふくませたものだ。
寒の水は混じりけなく体にいいと聞く。あの末期の水が寒の頃のものであったらもう少しは生きられたろうか。ふとそんな思いがよぎったのである。

“末期の水” への2件の返信

  1. 「吸飲」母にとって欠かせないものでした。
    入院するたびにこれは必需品の一つ、そういえば我が家にもプラスチック製のがありました。
    きっと子どもたちが幼いころ、薬を飲ませた後の水を飲ませるのに使用していたのでしょう。
    寒の水と言えば井戸水を想像してしまいますが・・・

    1. 水道水でもって寒の水とはちとうら寂しいですね。やはり,湧き水、井戸水、自然のものであってこそ本来の意味をもたせることができるのです。
      癌末期で転移し腸閉塞のような状態となって、食欲はあるのに何も食べられないまま逝きました。胃瘻という手段もとれず見るだに辛い最期でした。

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