水仙の門におりたつ車椅子
水仙のさなぎのごときヴェールかな

近所のデイサービスホームのアプローチの水仙がふくらみ始めた。

いまは蕾がうすい膜のようなもの包まれて、まるで羽化する前の蛹のようである。
送迎車から降りるたび、乗るたびに来訪者の目に止まって楽しませてくれるといいが。そんなことをふと考えながらホームを過ぎてゆく。
数日前、NHKスペシャルで脳科学者の娘と認知症の母親との日々を追ったドキュメンタリーを見た。アルツハイマー型認知症で脳の萎縮が進んでいるが、脳のすべてが侵されるわけではなく、人によっては高度で複雑な感情を司る部分が正常であることもある。言葉に発することは出来なくてもだ。
そのサインを細かく観察しながら冷静に寄り添えることによって交情が十分にはかれることも知った。もし自分が発症したとして路傍の花に気を止められるかどうか。身ほとりのちょっとしたことに目がいき、いくらかのプラスの感情をもたらしてくれるかどうかは、健康でいるうちの感受性をいかに養うかであると思うのだが。

“蛹” への2件の返信

  1. なるほど、言われてみれば水仙の蕾が開く前は羽化する前の蛹のようですね。
    やがてヴェールを脱ぎ花弁が開く。

    アルツハイマーの薬は研究されているようですがまだまだ未知のものでしょうか?早く開発されて欲しいものです。
    認知症になるくらいなら私は早く逝きたい。
    連れ合いが物忘れがひどくなったと嘆くが自覚している分まだいいんじゃないかと慰めるものの近頃夫婦そろって「あれそれこれ」が増えた。

    先日県別の平均寿命と健康寿命の発表があった。
    健康寿命を延ばすことの何と難しいことか。
    私の叔母(母の末妹)はもうすぐ91歳であるが体も頭もしっかりしていてまだまだやりたいことや行きたいところがあるという。
    毎月顔を見に行っているが話も合うし頼りにもなる。
    唯一母親代わりなので何時までも元気でいて欲しいと願うばかりである。

    1. アルツハイマーの新薬は相当高いらしいですよ。メーカーも開発の膨大なコストの回収を急ぐからでしょうが、それにしてもね。
      認知症もひとつの病気と考えて受け入れるしかないわけですが、その時になってまともな思考能力が残っているか。周囲に迷惑をかけたとしてそれを受け入れてもらえるレベルかどうかも、だれにもわかりませんし。ただ、元気なうちにいかに功徳を積むかにかかっているかもしれません。

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