住所録歳々薄し年の暮
宛先のメンテナンスなど年賀状の準備が完了した。
あとは印刷(ワープロ、パソコンが出現してもっぱら)するだけである。
ある年に宛先をだいぶ整理したのでかつてに比べれば随分少なくなったが、さらに加えて毎年数人ずつが鬼籍に入られるので数は減る一方である。
住所はパソコンで管理しているので、「印刷除外」のチェックをするだけでもう二度と印刷されることはないがデータは残っているので、この時期住所録の整理をするたびにいろいろな顔を思い出してはひとときを感慨に耽る。
文面は、初めて自作の俳句を添えてメッセージに換えることにしたのだが、句意がちゃんと伝わるかどうかは覚束ない。
年賀状の宛名だけはずっと手書き、裏面はPCソフトを利用するのですがなにしろ年に一度の事やり方を忘れてしまうのです。
そこで忘れないうちに早めに毛筆の一字書を少しアレンジして準備済みの所へ父が鬼籍に入り不要になりました。そんなものなんですね。
この歳になって年々数が増えつつあるのは一体どうした事かと不思議な現象です。
来年の古稀を契機に整理をこころがけるとしましょう・・・
年賀状の届かない年は初めての経験、何だか今から淋しいです。
年賀状というのは思い切って止めにしょうかと毎年思うのですが、踏ん切りがなかなかつかず毎年書くことになります。そういうわけで、新規の宛先は増やさないようにしているので往時の半分くらいで済んでます。
年賀状をキチンとやっている人すごいなと思います。私はとっくの昔から無縁です。うしろめたい気持ちはありますが白々しいのはもっと嫌なので。まあ性分です。今や通信手段はいっぱいありますから止めやすいかもしれませんね。
最初から一貫して出さないと決めてればいいんでしょうが、何十年もやってると難しいもんです。次回は古希、70歳というのが節目になりますので、さてどうしたものか。
年賀状の宛先はサラリーマンを引退と同時に今後の”おつきあい”を考えて大幅に削減をしたのですが、先方から年賀状が送付されてくると、つい出さざるをえない状況になり、縁を切るのは難しいですね。
新規の宛先を増やさないは同感です。本当は親戚筋と親しい友人程度にしたいのですがね。
今月送付されてきた喪中ハガキの中に、大学の先輩の奥さんから送られてきたものがありました。この先輩とは長い付き合いがあり、毎年年賀ハガキのやりとりもあったのですが、今年の1月にハガキが来なくておかしいなとは思っていたのですが、2月になくなられた由。普通なら会社の先輩でもあり、OBとして会社関係者から連絡がくるのだけれど、奥さんが会社にも連絡をいれなかったのだろうね。
今後このようなケースも増えてくるかもね。
ご夫人からいただくというケースもあるようになりましたね。今はほとんどがご本人からの喪中葉書ですが、そのうちご家族からのものが増える、そんな予感がする年齢になりました。
ご本人のFacbookアカウントでご子息からメッセージというケースもありました。