はや鷺の嗅ぎつけて来し池普請
池普請とは、池の水を抜いて掃除や石組みなどの修理などをすることをいう。
冬の季語とされるのは、「水涸れる」ともいわれる水の少ない季節であるのに加え、養殖池などでよく育った鯉などを浚う時期とも重なるからであろう。
大きな池になると、水を抜くだけでも数日かかるかもしれない。
掲句は、池の魚を狙ってその水の引くのをじっと待っているという光景である。
池普請が主目的でなくても、灌漑用水の溜池を利用してヘラブナや鯉などの養殖池にしている場合は、田に水が必要でないこの時期に池の水を抜いて大きく育った魚を掬うところもあるようである。
養殖業者だけでなく地域の人たちが多く集まって魚を掬う池もある。
このような溜池は水の少ない地方、とくに四国などではよく見られるという。
中世の遺構あらはに川普請
港の遺構、舟の構造材などが出てきたのかもしれない。
そう言えば、先日に長浜では琵琶湖を行き来した平安後期の船の部材の一部が見つかったと言うニュースが。
池普請、川普請が季語ですか。なるほど、生活行事なわけですね。井之頭公園の池の清掃が話題になってますが自転車やら何やら粗大ゴミがいっぱい出て来るとやら。近くでもちょっとした溜池やら溝に不法投棄を見かけるとホント悲しくなってしまいます。
普請で遺構や遺品が出てくるのはいいんですが。。
最近はBS3の「新日本風土記」から題材をいただくことが多いのですが、この句も讃岐の溜池からヒントを得ました。弘法大師が開いたという大池を代々守る「池守」の話とか、「番水」と呼ばれる乏しい水を平等に分け合う仕組み、田に水を引くとき水門を開けるのを現地では「ゆる抜き」と言ってお祭りしたり、いろいろ俳句に使えそうな言葉や慣習など出てきて季語の世界を楽しんでおります。毎朝7時台のエッセンス版放送もなかなかいいですよ。
水抜きに青鷺や白鷺などがわんさと集まってくる光景は、「池普請」に使えるなと直感したのでメモして置いたものです。
讃岐のような水を大切にする地域では不逞の輩も少ないかもしれません。水はただだと思っている現代人も、もっと謙虚にならねばと思いますね。