家を空ける

パッド入れて案山子の胸のゆたかなる
マネキンのついの生計の案山子かな
マネキンの人をも脅す案山子かな

理容学校のモデル嬢のようなマネキンの髪が短く刈られている。

それが十字の案山子のてっぺんにのっているものだから、夜に見たらぞっとするかもしれない不気味さを帯びている。立てた本人は観光客の目を楽しませようというつもりかもしれないが、何となく気味が悪い。
おりしも稲淵地区では案山子コンクール実施中だが、明日香村のそこかしこで案山子が立っていて、この案山子たちもその一つであった。

今日はおよそ六年ぶりに家を空けるため、予約投稿である。猫どもは家人に任せて。

おおらかな

陽石を隠語で呼んで秋うらら

飛鳥は奇石の多い里である。

「亀石」やら、「猿石」やら何のために作られ据えられたのかはっきりとしないのが多い。
そのなかでも傑作は通称隠語で呼ばれる陽石である。飛鳥川に向けて約45度傾けるように地面に突き刺さっている感じだが、地元古老によると川をはさんで正面の祝戸展望台のある小高い山にかつて陰石があり、それと対をなしていると言うのである。
飛鳥坐神社の奇祭といい、男綱女綱の勸請縄といい、「生」というものになんともおおらかな気風の里ではある。

変わらぬ流れ

飛鳥川七瀬の淀の水澄める
飛石を洗ふ水澄む飛鳥川

今日は35度近い日を飛鳥吟行。

10月とは思えぬ暑さに石舞台に向かったものの、涼を求めて飛鳥川沿いを歩く。
玉藻橋を渡ろうとしたときのことだ。橋の下を猛スピードでくぐり抜ける鳥がいる。水面すれすれに飛ぶところを見るとあれは間違いなくカワセミだ。しばらく姿を探すが、あっという間の出来事で見失ってしまった。
あきらめて足もとの川をのぞくとちょうどそこは飛鳥川本流に支流が合流するポイントで、瀬音が涼やかで気持ちいい。祝戸方面へさかのぼり、稲淵宮跡へたどりついたところで引き返すことにした。

「七瀬の淀」というのは万葉集巻7ー1366の、
明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ
を拝借したものだが、大友旅人の巻5-860にも、
松浦川七瀬の淀は淀むとも我れは淀まず君をし待たむ
見られ、「瀬があまたあって淀んでいるところ」という意味だろうか。
落差の大きい飛鳥の谷を大きな石をかいくぐるように水が落ちてゆくわけだが、祝戸あたりからややゆるい流れに変わりあちこちに淀みを作っているあたりは、昔とたいして変わらない光景なのだと思えた。

涼風を待つ

朴の木のゆたかな蔭の秋の風

背が高い木である。

葉っぱも広く、まるで笠のように頭上に覆いかぶさってくる。
毎日こう暑くては、つい大きな影を探しながら歩くことになる。
桐の木も同じような影を作ってくれるが、どういうわけか川鵜とか、鴉が枝や幹を駄目にするほどコロニー化することも多く、ちょっとその下で休む気はしない。
冷たいものを飲みながら涼風を待つ。毎日そんな日が続く。9月も尽きるというのに。

いまだに夏か

ゆきあひの雲のひとつに鰯雲

羊雲というのだろうか。

朝からぷくぷくとした雲がいくつも湧いて東へ流れている。鰯雲と同じくこの種の雲が空にあるときは天気が下り坂にあると言うことだが、すでに台風の予感をはらむような空である。
それにしても今日は暑かった。夏に戻ったような感すらある蒸し暑さで、夕方にはとうとう冷房を入れてしまった。

気分上々

平群谷割れて水澄む眼下かな

平群谷を通るたびに句が生まれる。

掲句もその一つ。
同じ電車に乗っても詠める路線とそうじゃない路線があり、近鉄生駒線は前者のひとつ。
それだけ窓の外に自然があるということだ。断層が作ったと思われる深い渓谷が生駒市と平群町の境目あたりにあってちょっとした渓谷美を見せている。それが窓の下にのぞく時間はほんの瞬間だが、秋がいちばん風情がある。今は水に目が向くが、やがてはそれにかかるいろとりどりの紅葉に目が留まる。
月末で稿提出が迫っているが、いくつか寄与しそうである。

今日は結社誌の発送日。読者よりちょっと早くだけ内容を知ることができますが、久しぶりの雑詠五点で気分は上々。

金と銀と

控へ目といふもこの香は銀木犀

ここ数日庭に出るとかすかに甘い香りがする。

風向きによるのだが、風下になるときしか香りが届かない。
いわゆる、一般に木犀と呼ばれる「金木犀」に比較して「銀木犀」の香りは控え目だからである。
昨日はいつもの散歩コースでそこはかとなく漂う甘い香りに思わず周りを見渡したが発見できずじまいだったが、今考えるとあれは間違いなく木犀のものだったのだと。
地方によってはまだのところもあるようだが、当地はすでに木犀日和、木犀の季節となった。