緑のカーテン織りそめる

苦瓜をかみて潮騒はるかにも

初生りのゴーヤを収穫。

さっそくチャンプルーで秋を真っ先にいただく。
最初の実だから小ぶりの内に収穫だが、たいして苦味もなく歯ごたえもさくさく。
暑さはこれからだが、この季節の食べ物だから体に悪いわけはない。きっと夏バテ防止なる効果もあるに違いない。
海無し県で苦瓜の故郷の南の海に思いをはせる。

濡れ羽色

ビスケットこぼす高枝梅雨鴉

春日大社の外国人観光客のおびただしいこと。

その観光客の残りものを狙う鴉もまた集まってくる。
めざとく見つけたビスケットは梅雨湿りでもしていたのであろう。
ぼろぼろと崩れるのを咥え高い枝に移る。
雨の春日の森の暗いなかでたくましく生きる鴉の黒は、まさに濡れ羽色で美しいものだった。

なべて湿れる

苔生して一位の森の五月闇
祓戸の千の灯籠木下闇

今日は半夏生。

この頃降る雨を半夏雨と呼び、梅雨終盤の激しい雨をいう。
まさに今前線が西日本に居座って、とくに南九州方面が危険なほど降っていると聞く。
当地の朝は激しい雨音に目覚めたときは春日大社吟行予定の参加も危ぶまれたが、集合時間となる頃にはすっかり上がった。ただ、湿気はただものではなく春日の森はなにもかも梅雨湿り。
背の高い一位樫の森もおぐらくまさに五月闇。数ある石灯籠も大きな木の下で苔生していた。

歌枕

多武峰見上ぐる丘の捩り花

飛鳥万葉文化館の庭園がきれいに整備されて季節の草花が咲いている。

半月ほど前に訪れた時、万葉の径の芝生に点々と捩り花が咲いていた。
それぞれ万葉に歌われた植物に即して萬葉歌が紹介され、捩り花の芝生の斜面の樫の木には、

片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか 巻7-1099

芝生はちょうど斜面になっていたので、片方しかない丘、片岡はここかと勘違いして向かいの峰、すなわち多武峰を振り返って妙に感じ入っていたのであるが、まったくの勘違い。
「片岡」は歌枕なのだった。自宅より少し南に少し行ったところにあるあたりらしいが詳らかではない。

半年の穢れ

増水の渦に形代ねぢれゆく
水嵩のふえて形代ねぢれゆく

今日は夏越しの祓。

春日大社の摂社では春日山からの流れが細くていつもは形代がとどまっていることが多いのだが、雨がこれだけふればかなり流されることだろう。
この日、形代に体を触れさせて半年の穢れを移しふっと息を吹きかけて川に流すのだが、大きな神社では萱の舟などにまとめて禰宜が流してくれる。
たいていは真似事みたいな形で終わるのだが、水が豊富な上賀茂神社にかぎっては本格的な流しとなる。

猫受難

同じ頁繰って戻され冷房車

昨日からとうとう冷房の出番だ。

昼間は扇風機で十分しのげるのだが、夕飯の用意するころになるとその熱が居間全体にまでこもってしまう。
逆に、外はいくぶん涼しくなりかけていて、そのギャップをやたら感じてしまうともういけない。
数時間の冷房だが、それさえ嫌う猫どもはもっとも冷気のこないところに避難してしまう。
猫たちにとっては受難の季節だ。

日焼の子

半年の垢掻いだしてプール干す

梅雨入りを前に町営プールが磨かれた。

すでに一か月近く干してあったのは日光による消毒か。
ひび割れを防ぐ目的だったと思うが、昨年の九月から満水状態だったのを来月上旬に向けてプール干ししたのだ。
小さな町のプールだから子供対象のプールだが、いよいよ暑くなるとそばを通るたび水浴びしたくなる。
プールには日焼けした親子がよく似合う。