雨後の涼

雷鳴に雨脚波のありにけり

突風が吹いてきたかと思うと、雷が鳴って雨が窓を激しく叩く。

窓を急いで閉めて耳を澄ませていると、雨脚にもリズムがあってザアッと降るときもあればふっと小降りになるときがあって、それが細かく繰り返されている。
雨雲レーダーではあと一時間くらい強い雨が降る見込みで、いくらか当地にも慈雨となるようである。
日中は暑いくらいの陽気だったので、雨後の涼を期待したい。

気後れ

旧質屋通用口の花菖蒲

もうとっくに廃業したとみえる質屋の構え。

利用客がかつて人目をしのんで出入りしたであろう通用口が今でも残されていて、その黒塀の内に立派な花菖蒲の群落が垣間見える。
おそらく営業中の頃から植えられていたのだろうが、いまでも大事に手を入れていると思われる。
いくらか気後れや後ろめたさの残る客の気持ちをささやかにも和らげようという主の心遣いだったのかもしれない。
今ではキャッシングやインターネットでの中古品売買が盛んとなり負のイメージはまったくないが、質屋という商売も時代につれて変わらざるを得ないが、貧乏な学生時代に何度か利用したことがあってせつない青春時代の記憶がよみがえってくる。

鼻先に

落梅の香り放ちておびただし
思はずも鼻に嗅がせる熟し梅

万葉文化館の梅がすっかり熟して半分ほどが落ちている。

近寄ると何とも甘い香りがただよっている。
そのなかで黄金色にかがやく大玉を拾ってみると、指にかすかな残り香があるほど強い香りだ。
車内に置けば芳香剤になるかなと思ったが、花梨ならともかくただ一個ではそれは無理だった。

時なしの鳥

暮れ残る空は蒼濃く時鳥

店に入ろうとする歩が停まった。

時鳥の声を聞いたからだ。
駐車場から田植がすんだばかりの田がつづき、そのすぐ向こうに目にもはっきり分かるわりと大きな古墳。
どうやらその百メートルとない近さの古墳の裾を巡回しているらしく、夕方の交通ラッシュの騒がしさの中でもよく聞き取れる。
間もなく暮れようという時刻で、未明の枕元によく聞くこの鳥はいったいいつ寝てるのだろうかと不思議になってくる。
「時鳥」と書いたり「不如帰」「杜鵑」とも書いたりする鳥だが、昼夜と分かたず鳴くのでまるで「時なしの鳥」とでも呼んでよさそうである。

見よう見真似で

禰宜巫女の所作真似くぐる大茅の輪

今月のネット句会が休会となった。

年に一回選を受ければよしとしなければならないほど、厳選このうえない。
今月の兼題は「茅の輪」だったので一句詠んでみた。
茅の輪は六月末日の夏越しの祓の前後に神社に設えられてる。早いところではそろそろ見られる時期だろう。
この輪の大きさ、数などやくぐりの作法にも神社によって微妙に違う面があって、それは現地での案内やあるいは見よう見まねで従うことになる。
こんな小さな社に?と意外に思われる場所に設えられることもあり、見つければ輪をくぐって穢れを祓うことにしている。

日の目を見る

家長でも父長でもなくファザーズデー

六月第三日曜日。

世に父の日と言うそうである。
子供たちが小さい頃、感謝しようにもそもそもその父親は滅多に家にいなかった。
今さら祝ってほしいなどと願っても詮無いことだ。
ひきかえて最近の若いお父さんはやたら家族に優しい。子供だって父親のことを怖がらなくなったろうし、やっと父の日も日の目を見る時代になったのかもしれない。

日曜農家

パラレルに曲がるも田植機械かな

何条か同じように曲がっていて機械で植えたのが一目瞭然だ。

盆地は田植真っ最中。
終わっている田だって昨日今日終わったばかりというのがよく分かる。
昨日今日と悪天で、特に今日などは昼過ぎまでピーカンの晴れだったのに午後から大荒れの風雨。
田植の途中で休止しているところも見えて、上がったのが夕方だから恨めしそうに空をにらんでいるお百姓さんもいた。
この週末で一気に植えてしまいたいところも多いはずで、残りの明日にかけるしかないようである。