きちきちの跳ぶより飛んでみせにけり
傾いた日にきちきちばったの翅が透けて輝く。
よく手入れされた野芝の広場を、滑るように飛んでゆく。
あっという間の出来事だが、不思議に脳裏にあざやかに残る飛翔である。
きちきちには、
きちきちといはねばとべぬあはれなり 富安風生
という名句があるが、今日目撃したのは無言であった。その分だろうか、滞空時間がえらく長いように思えた。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
きちきちの跳ぶより飛んでみせにけり
傾いた日にきちきちばったの翅が透けて輝く。
よく手入れされた野芝の広場を、滑るように飛んでゆく。
あっという間の出来事だが、不思議に脳裏にあざやかに残る飛翔である。
きちきちには、
きちきちといはねばとべぬあはれなり 富安風生
という名句があるが、今日目撃したのは無言であった。その分だろうか、滞空時間がえらく長いように思えた。
三輪山へ雲の一掃き秋高し
ひさしぶりに空が高かった。
午前中、西から川のように蛇行する雲が入り込んできて、東の三輪山の方向へゆっくりと流れてゆく。
空は文字通りの紺碧。
それらの雲が刻々姿を変えながら流れてゆくのを眺めたのは、五、六日前に迷い込んできた子猫の検査を受けるためクリニックの外で待つ間のことだ。
さいわい猫エイズなどの検査結果は陰性で、あとはいかに先住猫と慣れさせてゆくか。わずか450グラムの子猫にくらべ、先住猫どもはその10倍以上もあってあらためて大きい。
栄養不足のためか、やせている子猫の食欲は旺盛で猫肥ゆる秋となればいいが。
そう言えば、外猫のみぃーちゃんは秋の荒食いでちょっとふっくらしてきた。
入会の墳丘まろき竹の春
盆地に許多ある古墳の多くが竹林と化している。
ほとんどが人の手が入らず荒れ果てたままだが、なかには昔から地域の入会地としてよく手入れされて明るい竹林を見ることがある。ここでは、かつては薪や山菜などを採ったりしたに違いないが、今では竹林を養生して筍を採取するのが主となっているようである。
太い孟宗竹が伸び伸び伸びて丸い丘を形成している姿は美しい。
抜道の知る人ぞ知る曼珠沙華
彼岸花とはよく名づけたものだ。
いつも楽しみにしている大和川堤防の曼珠沙華がこの秋彼岸の時期にいっせいに開いて、堤防の道の内に外に楽しませてくれる。ここは、地元の人以外はあまり走らないルートで、この抜け道とも言えるような狭い道は普通のナビではまず採用しない道路である。もっとも最近は妙に精巧なアプリがあって、その恩恵にあずかる人もあろうが。
この彼岸花は、昔は墓地などに咲いて死人花といわれ忌み嫌われることが多かったというが、いつ頃からだろうか、いまでは田を守る花として、モデルとして人気の花である。
あと一週間あるいはもっと楽しめるだろう。
えのこ草飛んで銀座のビルの上
今日の席題は「狗尾草」。
世話役が当日発表するわけで、役得であらかじめ作っておくことができるが、前回も今回も権利を行使せず。
昼の握り飯を屋上ガーデンで食っていたら、掲句が浮かんだのだが。
ちょっとあざといというか、絵に描いたような嘘のような気もして投句せず。
で、前日練りに練った出句すべて没。
虫売に売るほどすだく虫の宿
台風が近づいているというが、当地はいつもの静けさ。
今夜も虫の夜である。
明日の例会の題の一つが「虫売」であるが、いまどき天秤棒をかついで売り歩く光景など見るべくもなく、たいがいがショップで扱うものとなっている。
夏はカブトムシ、秋はスズムシなど。郊外の道路脇のにわか小屋、あるいはペットショップなどだろう。
庭も隣の更地も虫、虫、虫だが、人気のスズムシはいるのかいないのか、それは分からない。ときに、「あ、今鳴いた」と思うときもあるのだが。
さ牡鹿の泥振りたてる大路かな
道路脇の側溝が沼田場になっているようだ。
しばらく心地よさそうに沈むものがいる一方で、泥をしたたらせて大きな牡鹿が出てくるときある。そうなると、観光客でごった返す歩道に悲鳴があがり、さらに油断しているといきなり泥を振り落とすように身震いするやつもいてとんだお裾分けをいただく羽目になる。
沼田場で泥をこすりつけるのは体を冷やすほかに、体についた寄生虫などをふるい落とすのが目的だと言われているので、なんとも厄介なお裾分けではある。
10月からは鹿煎餅が3割も値上げされて一包み200円になるそうである。一部分が奈良の鹿の保護活動に使われるということだし、煎餅をやるのが楽しみの観光客にとっては150円も200円もたいしてかわらないと思われ、売り上げは大きく減ることはあるまい。