水面へと被爆柳の芽ぐみけり
被曝樹木でいまも健在な木は意外に多い。
広島市のホームページでは市内に90本ほど。復興にあたって移植されたものも多いが、当時の位置にそのまま永らえているものもまた多い。樹木の種類はさまざま。柳、桜、銀杏などの落葉樹、黒松、楠などの常緑樹、蘇鉄、蜜柑など多岐にわたる。
今日こんなことを書いているのは、ウクライナ侵略で核使用をちらつかせるロシア、あるいは北朝鮮の核ミサイル開発にかけるスピードなど、きな臭い世相に底知れない恐怖を覚えるからである。
今日の句会の兼題「木の芽」を詠むにあたり、真っ先に頭に浮かんだのが被曝樹木で、句会へは、
芽ぐむなる被曝柳や民喜の碑
を出したのだが、原爆ドーム前におかれた被爆詩人原民喜の碑文は自死の遺書に添えられたものとされるが、原爆を詠んだものにしては悲しいほどに美しい詩に惹かれたからである。
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
ここから11月の民喜の命日は花幻忌と呼ばれるそうである。
被爆柳が水面に向け芽ぐみ始めるのは、水を求めて人々がさまよった過ぎし日の無念と重なるような思いがする。
原民喜、名前だけは知っているが一冊も読んでいないのでこの詩も初めて知った。
広島城で何の木だったか忘れてしまったが被爆樹があったことを記憶している。
木の芽というのは生命力の象徴。自然は虐げられてもたくましく生きる。困難な時代にも負けない人類であって欲しい。
水面へと被爆柳の芽ぐみけり
植物って被爆にも、今回のコロナにも微動だにしないんですね。
その歴史たるや人類の比じゃないとか。数々の修羅場を超え現在の完成形を手に入れたんでしょう。
コロナ下においてもまず無駄な動きをしません。人類はこれさえも真似ること
ができませんものね。
銀杏類などは人類誕生のはるか昔の2億年から繁栄していたそうです。イチョウはその生き残りですが、これら自然の調和をつぎつぎに破壊してゆく人類は、いつかしっぺ返しを受けるのは必定。謙虚でなくてはね。
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
「一日一句」にこの詩が出て来るとは! この年になると何となく嘘っぽく思われシラケますが、若い時は、この被爆詩の余りにもの美しさに息を飲むほどでした。広島には中学の時、友人と卒業旅行で行ったのが最初。その後、何度も行きましたが、平和公園はどんどん整備され、被爆の様相など全く偲べない観光地と化しました。被爆された所をあんなに美しい場所にするなんて、或る意味冒涜だと、最近では足が向きません。
自死の遺書に添えられていたというエピソードがありますが、いわゆる辞世の詩。あの惨状のなかに木槿の残像があったのでしょうか。
それにしても、世界に向けて広島外交も打ち出せず、戦争当事国に必勝しゃもじを手土産とは、しゃれにもなりませんな。