様子見

芽起しの雨のやうやう去りにけり

冷たい長雨がようやく終わった。

暗鬱とした気分に滅入っていたが、庭の梅の芽吹きにこころ開かれる新鮮な感動がある。
今日はいっきに気温二十度を超え、外にいると暑いくらいなのに着ているものは冬のままであるのが可笑しい。暖かくなったと言っても体はまだ早いと言っているようでもう少し様子見が続きそうである。

花幻忌

水面へと被爆柳の芽ぐみけり

被曝樹木でいまも健在な木は意外に多い。

広島市のホームページでは市内に90本ほど。復興にあたって移植されたものも多いが、当時の位置にそのまま永らえているものもまた多い。樹木の種類はさまざま。柳、桜、銀杏などの落葉樹、黒松、楠などの常緑樹、蘇鉄、蜜柑など多岐にわたる。
今日こんなことを書いているのは、ウクライナ侵略で核使用をちらつかせるロシア、あるいは北朝鮮の核ミサイル開発にかけるスピードなど、きな臭い世相に底知れない恐怖を覚えるからである。
今日の句会の兼題「木の芽」を詠むにあたり、真っ先に頭に浮かんだのが被曝樹木で、句会へは、

芽ぐむなる被曝柳や民喜の碑

を出したのだが、原爆ドーム前におかれた被爆詩人原民喜の碑文は自死の遺書に添えられたものとされるが、原爆を詠んだものにしては悲しいほどに美しい詩に惹かれたからである。

遠き日の石に刻み
砂に影おち   
崩れ墜つ 天地のまなか  
一輪の花の幻

ここから11月の民喜の命日は花幻忌と呼ばれるそうである。
被爆柳が水面に向け芽ぐみ始めるのは、水を求めて人々がさまよった過ぎし日の無念と重なるような思いがする。

山菜の天麩羅

売られゐし木の芽調べり漉油

伊賀の道の駅でいくつかの山菜がパックになって売られていた。

さっそくその夜の天麩羅となったが、どれもこれも柔らかくおいしい。ちょっと葉が厚くてやや苦みのあるのは何だということになって、パックに添付されていた名札から消去法でどうやら「コシアブラ」らしいと判明。さっそくグーグル先生に教えてもらったのだが、今では結構ポピュラーな山菜だそうだ。関東ではあまり店先に並んでいるのを見たことはなかったが、こうした山地ならではのものかもしれない。
ちなみに、パックされていたのは他に「タラの芽」「野蒜」「こごみ」「山独活」「セリ」であった。

節目

郷関を出づる決意や木の芽立つ

人生の節目に関わることの多い季節である。

今から数十年前のこと、それぞれが郷里を出て別れ別れになるとき友人と語り合った公園にはすでに芽が吹き始めている木があったこと、やたら寒かったことを覚えている。