滝汗

帰ろかな腰を伸ばせばかなかなかな

潮時と腰を伸ばしたら蜩の声が聞こえてきた。

まるで帰れ、帰れと言わんばかりである。
ただでさえ暑いのに、秋に向けて菜園もあれこれ忙しくなってきて流れる汗も半端じゃない。夕方の一時間ほどが勝負時でおそらく集中していたのであろう。
蜩はとうに鳴いていたのかもしれないが聞こえなかったようだ。あるいは、もしかするとほんとうにそれが蜩の第一声かもしれないが、何ともいいタイミングであることよ。
汗まみれの体に帰りの原付の風がすうーっと冷やしてくれる。降りたらまた汗が流れるのであるが。

ピーク過ぐ

昃りてかなかなもまた鳴きそむる

虫も人間も同じかなと思った。

昨日は曇りがちでそれまでの体温を超えるような高温から解放されたのであるが、加えて少しの風でも出てくると今日は涼しいなあとしみじみありがたく思う。
蜩も同じと見えて、谷筋に風が渡ると少し遠慮がちに鳴き始めたのである。私にとっては初蜩で、毎日の厳しい暑さの中にも秋が忍び込んできているのだ。
今日もよく晴れて日差しが強烈だが、一昨日までの息苦しさはない。今年の夏のピークを打ったのだと確信するのであった。

河原石

魂抜いて縁なき地なり遠かなかな

生後十日で亡くなった。

一家は戦後の生きるに精一杯の暮らしに、その骨を父の実家の墓に鎮めた。一時的に預けたつもりだったのだろうが、そのまま長い年月がたった。
盆に行けば先祖の墓には必ずお参りしていたのだが、その墓は墓というにはあまりに粗末で五十センチ平方ほどの基石に河原の丸石がぽつんと乗っているだけであった。
子供心にもなんとも侘びしくて、それは寂しい墓であった。
妹の墓である。大きな地震が起きてその犠牲になったのだが、たまたま親戚に行っていた私は無事だった。
ある年大雨で山が崩れて墓地全体をさらうことがあった。その再建にも父母は不義理をして磧石の妹はあわれ無縁仏扱いとされていた。
後年それを知ったとき父の墓に入れると決めた。どこにあるとも知れない妹の霊にむかって魂抜きの法事を済ませ、幾ばくかの土を壷に納めてだいじに持ち帰った。
今は父母の墓に埋葬されて、ようやく親子の静かな時間が流れている。

もう秋

沢に風生れてかなかなかなかなと

名前の通り夕刻に蜩の声を聞いた。

youtubeではすでに各地に蜩が聞こえるが当地では初蜩である。
市民菜園のそばを信貴山から流れる渓が這っていて、そこは水だけでなく風の通り道でもありおかげで菜園は家にいるよりもずっと涼しい。
蜩を聞いてさらに涼しくなった。
蜩を聞いた以上もう秋なのである。

聞き分ける

わんわんとうなるなかにもかなかなと

仏壇で朝の挨拶をしていると、たしかに聞こえた。

ジージー、ミンミン、いろんな種類の蝉の合唱のなかからかすかにかなかなの声が。
読経を終えてあらためて耳を澄ませて聞こうとしたが、それはもう一回切りだったようで、本格的なヒグラシの季節はもう少し先になりそうである。
まずその前にはつくづく法師が来なくては。

盆明け

かなかなは遠し家々黒き影

夕刻、遠くに蜩を聞いた。

気がつけば、もうとっぷりと暮れており、脊山も家々のシルエットも黒々としている。
どの家にも灯りがついて、盆休みの終わった家々に灯りが戻った。
秋を実感した瞬間だ。