タイムスリップ

団栗やゴム管といふ飛道具

団栗がいたるところに溜まっている。

種類によってはピストルの弾のような形をしており、育った土地の方言で「ゴム管」といわれた「パチンコ」の弾にもってこいだと直感した。
命名はおそらく管状のゴムパイプを使うのが正統だったと想像されるが、自分たちが作って遊んだのはよくて古タイヤを割いたもの、普通はゴムバンドを縒ったものを使うことが多かったと記憶している。
ともあれ、団栗のつぶてはうまく挟まないと的にうまく当てるには難度が上がりそうであるが、当たった場合の破壊力は相当なもので間違っても人や動物には向けては危険である。
瞬時に子供時代にタイムスリップできるのが団栗の面白いところである。

喜べばしきりに落ちて

探鳥の肩に時雨るる木の実かな
団栗の水漬けるままの雨溜り
水景の石の狭間の木の実かな
団栗のはかまはいまだ枝にあり
禁足の池に木の実の降りにけり

三脚の双眼鏡に立つ人に木の実が降り止まない。

うっかり上を見上げれば顔を叩かれかねないほどの木の実時雨である。
いつもの散歩コースがいつになく楽しい。
小鳥は来るし、花壇は秋の花でいっぱいだし、主役がどこにでもいる。
すっかり実を落とした山梔子の葉の上には枯蟷螂。枝を揺すぶったら戦意示すことなくさっさと植え込みに逃げ込んでしまった。こんな遊びをしていたら、およそ二時間なぞあっという間に過ぎてゆく。
歩数一万はいっただろうと思いきや、ちょっと足りなかった。
足が慣れてきたらもっと距離も稼げるとは思うが。

どんぐりの歌

どんぐりの袴ばかりが散りてゐし
団栗のはかま残してまろびけり
どんぐりの袴の池にとどかざる
団栗といえど袴の転がざる

櫟(くぬぎ)の実というのは丸い。

櫟の実とはかま

だから、「どんぐりころころ」坂を下るのは団栗の仲間のうちでも櫟なのである。昔から人間の生活のそばで育ち、食料や薪など広く活用されてきた。そんな親近感もあって団栗の歌が歌いつがれてきたんだろう。

写真は櫟の実とはかまあるいは帽子と呼ばれる「殻斗(かくと)」であるが、じつは櫟の木の下は王冠のような形をした殻斗ばかりで、実は一個も落ちていなかったのを丘の下から拾い集めて来たものである。
こんなに丸ければちょっとした斜面でもよく転がるわけだ、と妙に感心したのだった。

参考)うんちく

グルメな鹿

神鹿の召さぬ団栗あまた降り

鹿食はぬまま団栗のあまた落つ

奈良公園
久しぶりに「まほろば句会」に参加した。

夏に入院して以来、本来はふた月前に復帰すべきところずるずると休んでしまっていたので、ひとまずは休み癖にケリをつけた格好になる。
今日は師走のならまち風情などがテーマだったし、今のシーズンは朝の鹿寄せも行われているのでいつもよりは早めに出たが、初めて車で行ったのが大失敗。通勤の渋滞に巻き込まれて着いたときにはもう鹿寄せは終わっていた。この鹿よせでありつける旨いドングリの味を知っているせいかどうか、グルメな鹿たちは公園にいっぱい降っている団栗には手をつけようとはしないのがおかしかった。
奈良公園茶粥のおふるまい
鹿よせには遅れたが、ちゃっかりとお振る舞いの茶粥だけはしっかりいただいて来た。奈良漬けをおかづにずるずると茶粥をすすったあとは奈良町へ。

生食できる

団栗の転がる果てに片寄する

お祭りのあった八幡さんの裏手は団栗が降るほど落ちる。

かなりの急坂なのでどんどん転がってゆくが、一様に山側に吹きたまるように片寄せられていくのが面白い。
昔、団栗をくうと「どもる」とか「おしになる」(いずれも差別用語で使ってはならないとされているが)と言われたものだが、この歳になって初めて団栗にはアク抜きしないで食えるものがあることを知った。そう言えば、昨今里に出没する熊が多いが、餌となる団栗が山で不作だから降りてくるんだとかよく聞くようになった。熊だってアク抜きしないで食える団栗のあることはいいことに違いないが、きっと生食できるものとそうでないものを見分ける能力があるんだろうな。