道案内

万とつく木の実一粒降りにけり

久しぶりに飛鳥へ。

橿原方面に所用のついでに石舞台から祝戸方面へ1時間ほど足をのばした。
椎の木の実だろうか小さな粒をいっぱいつけた木がめだった。とくに玉藻橋少し上流の淀にかかる木がみごとで、そこから落ちる実はことごとく飛鳥川に沈むことになる。
昨日今日落ちたばかりと思える、青い実のまま落ちている団栗も多く、今日の強風にたえながらもいつ落ちるかどうかはなはだ心もとない。
カメラ片手にぶらぶらしていたら、地元の人間と見られたのか飛鳥散策の観光客に道を尋ねられた。橘寺と稲淵の棚田が見たいと言うのだが、玉藻橋付近からすると下流と上流、それぞれ逆方向なのでまずは稲淵への道を教えて差し上げた。

種の滅亡

ともづれもなくて木の実を拾ふのみ

山の木の実が不作なのだろうか。

日本海側の各県に熊が出没しては駆除されるという何とも痛ましいニュースが届く。
人間によって自然が破壊されてゆくスピードが年追うごとに増しているようである。
つれて種の滅亡もすすみ、北極の熊などは今世紀中には姿を消すとも聞くと暗然たる気分に覆われる。
孫の世代の将来を憂う。

喜べばしきりに落ちて

探鳥の肩に時雨るる木の実かな
団栗の水漬けるままの雨溜り
水景の石の狭間の木の実かな
団栗のはかまはいまだ枝にあり
禁足の池に木の実の降りにけり

三脚の双眼鏡に立つ人に木の実が降り止まない。

うっかり上を見上げれば顔を叩かれかねないほどの木の実時雨である。
いつもの散歩コースがいつになく楽しい。
小鳥は来るし、花壇は秋の花でいっぱいだし、主役がどこにでもいる。
すっかり実を落とした山梔子の葉の上には枯蟷螂。枝を揺すぶったら戦意示すことなくさっさと植え込みに逃げ込んでしまった。こんな遊びをしていたら、およそ二時間なぞあっという間に過ぎてゆく。
歩数一万はいっただろうと思いきや、ちょっと足りなかった。
足が慣れてきたらもっと距離も稼げるとは思うが。

靴裏を突き上げる

名園の木の実溜まりとなりにけり

櫟林を抜けて近道しようと思うと、ビシビシと音をたて団栗が落ちてくる。

櫟のあの丸くて大きな実は直径1.5センチほど。
さすがにあれが落ちると、苔の庭であってももんどりを打って大きな音がするものだと知る。
頭を直撃されてはたまらないから早々に抜け出したが、足裏にもはっきりと分かる木の実の大きさだ。

柔らかく受け止めて

一面の苔をしとねの木の実かな

苔の庭には紅葉の枝先だの、木の実だのが落ちている。

どれも、苔の柔らかいクッションに受け止められて留まるかのようだ。
言ってみれば、苔が褥となって、小さな木の実だったら埋まってしまいそうである。
現に、椎の仲間なのか、今年芽吹いたとみえる苗が所々に育っている。

秋動き出す

陵はねむり木の実を太らしむ

天武・持統天皇陵へのアプローチは畑である。

陵はこんもりした丘の上にあって、周囲を見渡しても同じような景色が広がっているだけの何の変哲もないような場所だ。周りには住宅が数戸だけという、本格的な中央政権を打ち立てたひとたちの陵にしてはすこぶる地味な感じである。
アプローチの両サイドには柿が青々として、斜面には大きな栗の木があり青い毬がもう随分大きくなってきている。

あと一月くらいすれば、秋の色に染まって幾らか彩りをますのだろうか。

熊野奥駆け登山道

ポケットは木の実でいっぱい登山道

住宅会社主催の森の見学会に参加した。
かつて吉野杉生産で賑わった川上村で、熊野奥駆けのスタート地点周辺を40分あまり散策する。修験道のコースとしては険しさが並でないらしく最近は敬遠気味だというが、なるほど登りはじめてすぐに息が上がってしまう。
ただ、バスの中では難しい話に沈黙していた児らも、フィールドへ入ったとたん目の色が変わり子供本来の好奇心でずんずん先頭を進んでゆく。
目に付くドングリやらの木の実を片っ端にポケットに突っ込んでいき、ついにはガイドさんのポケットまでもが収納袋となった。