停止位置

寒風や違反切符をきる巡査

気温は二度。

道路も凍りつくような河っぺりの交差点でねずみ取りとはごくろうさまである。
見通しがいいはずなのだが、運転手からは見えない角度に巡査がひそんでいるせいかときどき引っかかるネズミがいる。ほんのちょっとの停止ができなくて、うっかりのミスが何千円かの罰金と何点かの犯則点をいただくことになる。
くわばら、くわばら。毎度のことなのでこちらは馴れたもので停止線のところできっちり停まり、さらに左右がよく見える点でまた停止し左右確認するのもすっかり板についたのであるが。
さすがに寒かったのであろうか、帰りにはもう巡査の姿はなかった。

強靱にして柔軟

寒風や竹しなやかにしなやかに

今日は風が強い。

おまけに冷たいときてるか、正面からまともに受けたら震え上がるほどであった。
いよいよ信貴山の方から吹き下ろしてくる風に悩まされる季節となった。
耳まで覆うキャップ、手袋してウィンドブレーカーを羽織らないと、体温を維持できそうもないくらい辛い季節である。
竹林もバキバキと音をたてつも、おたがいを支えにしながらあらがっている。根本からしなるような強靱な強さにはいつも感心するが、強靱でいて柔軟というものの逞しさを見るようである。人も組織も、ひいては国全体もこうでありたいと思うことしきりである。

水っ洟

寒風に水抜きの溝掘りもして

今日は風の冷たい一日だった。

日が当たっているうちはまだよかったが、午後から陰るともういけない。体を動かさなきゃということでスコップで溝掘りである。
冬の間に雨水が溜まりがちな菜園の水捌け改良の土木工事である。
もとよりブルドーザーもトラクターもないので、人力を賴りの作業である。
しかし、その程度ではなかなか体は温まってこない。水っ洟をたらしつつ一時間ほど粘ったがもう限界で切り上げることにした。殘りは天気のいい日にしよう。

ヘルスロード

寒風に爪突きだしてユンボかな

とうとう昼の室温が12度になった。

外は冷たい風。
ただ天気がいいので何日かぶりで外を歩いた。山からおろす寒風に圧されながら一歩ずつ坂を登る。10分も歩くと血流も上がって寒さは苦にならなくなる。といっても耳たぶは痛いほどだが。
いつもの散歩道に新しく公園ができるらしく建設機械が入って整地している。ここは夏には向日葵が一面を覆っていた場所で近くの住宅街の人たちがよく利用する道だ。公園の予定名は「ヘルスロード公園」。小学校に面する通り沿いだが、まるで高齢者を対象とした公園のように思える。
完成はこの五月らしい。
さて、どんな公園が出現するか。

自己防衛

寒風を来て検温器前に立つ

想像していた通り歯医者待合室の窓が閉められていた。

夏から秋の間は窓を開け放して三密の密閉状態を避けていたのだが、ぐんと寒くなってくるとともに曖昧になってきたのだろう。
札幌では再びコロナ感染が急増していて冬のすすき野で窓なんか空けてられないだろうに、営業自粛ではなく時短営業という生温い対策で終わっていて本当に大丈夫なんだろうか。
大阪は都構想とその後のIRしか頭にない府市のアホ首長どもが住民投票にうつつを抜かしているあいだに、今日はとうとう256人の感染確認。東京は317人だというし、いよいよ今冬は正念場を迎えそうである。
気を緩めないで自己防衛に徹しようと思う。

ふいご

寒風に翻弄さる者ちぎれ雲

今日は久しぶりに風が強かった。

風に押されると転がるような、風に向かうと戻されるような、足の運びもままならない吹きさらし。特に風が吹き通る橋の上では、歩行につれ振り上げた腕がそのまま戻らなかったりするくらいだ。

空を見上げると、地上ではこんなにすさまじく風が吹いているのに、なぜか雲の動きはゆっくりしている。このあたりの地形は複雑なので、大地がさながら鞴(ふいご)のような状態と言うことか。

平群の地

竹林を騒がす風の寒さかな

竹林の中で鳩が鳴いている。

自宅から500メートルほど行った斜面に社があった。薬隆寺八幡神社という寺か神社か分からない名前だが、室町時代に創建された本殿が重文となっていた。祭神は第15代応神天皇とか。えらく由緒ありそうな神社が斜面の上の竹林に守られるように鎮座されている。
そこから東に500メートルほど行くと平隆寺という推古朝601年創建といわれる平群氏の氏寺が、八幡神社と我が家を結べば三角形をなす位置関係にあった。この平隆寺というのは、いつもの散歩道からちょいと逸れたところにあって今まで見過ごしていたのだが、今日は近鉄生駒線に沿って回り道していたとき偶然発見したのだった。その平隆寺の瓦を焼いたとされる登り窯跡「辻ノ垣内瓦窯」というのが我が家のすぐ近くで発掘され、近所の公園の一角に移設されているのを知ったのも3日ほど前である。
現住まい一体が平群一族ゆかりの地であったことを再認識した日であった。