しわ寄せ

年忘一人と欠けることもなく

世の中はほとんど忘年会どころではないだろう。

身近なところでコロナ禍に合われた人もなく、もし忘年会をやるとしたら全員が出席となるはずである。
このひと月で稼ぎの多くを期待していたお店にとっては大打撃。飲食業には廃業に追い込まれたり、従業員やアルバイトが多く解雇されるなど、立場の弱い人がますます困窮度を増してきている。
分科会ももはやクラスターを追えずお手上げ、白旗をあげてしまった。医療現場にそのしわ寄せが一気に迫って、この先どこまで行ってしまうのか。

徘徊老人

としなしのものうちそろひ年忘

後期高齢者あるいはそれに近い人ばかり。

さぞや食も細いと思いきや、何の、出てくる料理は前部平らげるわ、俳人というのは元気である。
逆に言うと元気がなくなると俳人ではなくなるということ。
初めての曾根崎あたりの店で、不景気はどこ吹く風の大賑わい。梅田の辺りも意外に若い人が多くてまだ日本は大丈夫かなと。
しかし、いざ散開となっていけない。たちまち西も東も分からない迷子になってしまい、大阪市内を抜けるのに1時間以上も費やしてしまった。家にたどり着くまで2時間半、すっかり大阪の徘徊老人となってしまった。

人間観察

上席のまはりまばらに年忘

職場の忘年会というのは、日頃の人間関係が如実に現れるものである。

席の占め方にもそれは現れる。席がどこから埋まるか。
ふつう上座は上司と決まっていて、その周りにすすんで人が集まるか否かで上司の人気度が分かる。
また、最初はきちんと席についていても、宴がたけなわとなってくると自然と人気の人のまわりに人が集まるものだ。職場の忘年会を避けようというひとが増えているらしいが、このような人間模様を事細かに観察するだけで人の本性みたいなものがみえてくるもので、勉強するつもりで参加するならそう悪いことではないと思うがどうだろう。

笑って年越し

年忘一期一会のひと混ぜて

毎日のように忘年会という日々があった。

あそこへ出て、こちらへ顔出して。
同じような面子と何回も同席したりすることもしょっちゅうで、お互いにそれをなんの不思議もなくこなしている。
いっぽうで、忘年会の場が初顔合わせだったりすることもある。
「はじめまして」
「お噂はかねがね」
「どうも、どうも」
てなくらいの挨拶ですぐに溶け合うというのも忘年会ならばこそ。
あれやこれやを笑いで済ませてひと夜楽しく過ごせばそれでよし。
義理の忘年会に出なくてよくなっただけでも、ハッピーな「余生」である。