そよぐ

銀テープたえず煌めく彼岸花

銀テープ。

稔り始めた証しであろう。
日に日にテープをめぐらした田が目立つようになった。おりしも畔には彼岸花も咲き出して、これからしばらくは豊かな色の季節を迎えようとしている。
銀テープは裏が紅でこれが風にいざなわれて煌めきの度合いを高めるようになっている。季語で言えば「鳥威」の一種でもあるが、今日はどうしても顔を出し始めた彼岸花が主役のように思えて添え役にまわってもらった。
この辺りは住宅地に近いせいか、音のする鳥威はないようである。
わずかな光があれば、昼も夜も銀テープはそよいでいるのである。

一興

彼岸花二二が四とふえにけり

最初は一輪だったが、やがて倍々ゲームで増えていった。

一週間ほど前、畔の曼殊沙華が咲きだしたなと思ったら、その後ゆっくりと株を増やしていった。
この二日台風のため確認はできてないが、おそらくもっとその数が増えているのだろうと推測している。
彼岸花とはよく言ったもので、ちゃんとその時期に合わせて咲き出すのだ。
今日は敬老の日で三連休の最後だとか。あいにくの台風で予定していた行事がキャンセルされた例も多かろう。
その敬老の日にどこへも行かず老人だけでZOOM句会を囲んだというのもまた一興である。
ところで、今日は久しぶりにwindowsパソコンでこの稿を書いている。たまたま現在のバージョンが間もなくサポート失効になると聞いて、台風でこもっているときがチャンスだとwin10にアップしてみた。クラシカルデスクトップスタイルに戻せば違和感なく何とか使えそうである。

彼岸花三態

踏切の一旦停止彼岸花
幾重にも棚田を分かち彼岸花
少年の自転車降りて彼岸花

今日は榛原の句会。

途中、長谷寺から吉隠にかけての隠国の棚田がみごとに色づいていて、その畦を彼岸花が覆っている。それはまるで、卵をはさむ幾重ものサンドイッチのようにも見えた。
踏切に止まり左右確認すると否が応でも彼岸花の朱が目に飛び込んでくる。
また、自転車を停めて大和川の堤防に降り彼岸花に見とれている少年がいる。

今、大和はどこを走っても曼珠沙華が乱れ咲いている。

役割を終えて

彼岸花立行司には緋の衣装
彼岸花飢餓の記憶は遠くなり

二日連続して金星進上。

白鳳の連敗というのにびっくり。
話変わって、立行司の式守伊之助の衣装が全身緋でこれも秋のものだろうか。

今日も天気がいいので午後から五條の古い町並みをそぞろ歩きに出かけた。
途中、大和川や葛城・金剛山の麓の畦には曼珠沙華が満開。
彼岸花も今の飽食列島では救荒植物としての役割は終わり、もっぱら観賞用、観光用として目を楽しませてくれる存在になってしまった。
それもまたよきかなと思う。

凍れる音楽

夕照に遊ぶ飛天や彼岸花

実は昨日唐招提寺の観月讃仏会の前に薬師寺に寄っていた。

この期間、解体修理中の東塔の相輪が一般公開されていたからだ。もうだいぶ傾いた日が差し込み、いくぶん黄みがかった空気に包まれた会場で、1300年もの長いあいだにしっとりした緑青がふいた水煙を目の当たりにした。笛を吹いて楽を奏でる天女がいれば、その上を縦横に舞う天女も透かし彫りされてそれはそれは美しい。写真でもよく見る有名な水煙だがほとんどがモノクロなので、実際に緑青を帯びたものを間近にすると「凍れる音楽」と賞された塔のシンボルにふさわしい、すばらしい作品だとあらためて思う。

すっかり白鳳の天女さんの虜になって、満ち足りた気分で彼岸花が咲く道を唐招提寺に向かった。

斑鳩秋光景

斑鳩の里を点描彼岸花

日々の戦いのなか、久しぶりに菜園のある斑鳩の里へ出てみた。

6月の後半に植えられた田も収穫時期が近づいたとみえ一様に色づき、あちこちの畦に群れ咲く曼珠沙華とは好コントラストをなしていた。この二ヶ月というもの、家から眺められる範囲の、狭い季節のなかを過ごしてきたので、久しぶりに外の空気を吸って多少なりとも心身がリセットされたような気分だ。