思案も楽し

緑陰にパンフ拡げて旅のこと

木陰のテーブルから笑い声がもれる。

何やら資料らしきものをテーブルに並べて、楽しそうだ。
夏休みの計画でも立てているのかも知れないなと思った。

高齢者肉を焼く

緑陰に肉焼くタオル被りかな

昨日は炎天下でBBQの焼き肉担当。

朝早くから準備に追われ、開店は11時。ピークの12時にはコンロの前に長い行列ができて、手渡すにも客の顔も見られないほどバタバタした。
緑陰と言っても、町内の公園だからわずかの木しかなく、げんにコンロの部分はお日様ピカピカ状態。日除けは帽子代わりのバンダナ巻だ。
約二時間の重労働を終えたら、今度は片付け。終わって反省会という名のお決まりの懇親会。
ひたすら体を動かした一日だった。

五月晴

胡座して緑陰講座晶子考

訪れた民博公園でたまたま古民家イベントが行われていた。

古民家イベント

内容は、日本の民俗をきく「第2回与謝野晶子のくらしと歌」と題する歌人による話である。
着いたときにはもう終了間近で、ほとんどを聞き漏らしたが、晶子が堺出身ということを知っただけでも覗いてみた甲斐があったというものだ。

それにしても、今日は絵に描いたような「五月晴」で、しかも湿度が低くて開け放した古民家を吹きぬける風の心地よかったこと。

通し土間抜けて古民家青田風

立ち話

緑陰や何につけても長話

梅雨を通り越して夏のような日が続く。

こんな日は大きな木の陰にはいって風を受けているとほっとするものだ。
奈良市内で垣間見たのだが絵に描いたようなそんな光景に出会った。今しがた子供を送り届けてきたと思われる母親ふたりが、幼稚園前の立派な藤棚の緑陰で立ち話に余念がないのだ。30分あとにも通りかかったが話はまだ続いていた。

大きな櫨の木の下で

元興寺・極楽院の受付

緑陰を独り占めする寺務所かな

山門にかかる緑陰大いなる

大緑陰南京櫨のみわざなる

元興寺・極楽院の受付寺務所は大樹の葉陰でいかにも涼やかである。

元興寺・極楽院の受付

この木は南京櫨と言うそうである。
調べると秋には見事な紅葉をみせ、そして白い実からはロウが採れる。秋にもう一回訪れてみたいと思う。

涼を演出する

緑陰と霧のシャワーがプレゼント

この時期自転車、ウォーキングは大変だ。

ようやく雨があがってさあと思っても真っ昼間のお日様にはかなわない。
あっという間に水分は奪われるし、熱中症なんぞになった日にゃ。

まだ暑い日中のさなかに犬を散歩させている人を見かけるが、あれは間違いなく動物虐待罪。
他人や動物に対してあまりにも感度が鈍い種族なんだろう。
物言えないものだけに、かれらをよく観察し、その身になって考えることができないのは「人」(ひと)とは言えない。

今、春日大社ではあの藤棚から水を霧状に散布して涼を演出している。嬉しいサービスだ。

追)書いてからしまったと思った。「緑陰」は3日ほど前に使ったばかりだった。

涼しくない話

緑陰や節電要請始まりぬ

大飯原発稼働のおかげで関西電力はj実質10%程度の節電要請に収まった。

福島の事故を思えばこれを素直に喜んでいいのか正直戸惑いはある。
ただでさえ国内での産業立地が難しくなっているおり、原発が止まれば現在の経済というのは立ちゆかないのだろう。しかし、そうだとすればよけいにエネルギー政策の中長期ビジョンを描いて共有することが大事なのではないか。政治に今ほど求心力が求められている時代はない。

政権ほしさに徒党を組んでただけの話で、もともと考えの違う人たちの寄せ集め所帯が今更割れるのがどうのこうのといってる場合ではない。それよりも将来の政治の基本軸が一段と不明瞭になっている今、もう一度争点を整理、明確にしたうえで世間の判断を仰がねばならない。

緑陰で涼しくなるはずだったのに、政治のこととなると途端にヒートアップしてきた。