葱坊主音羽の山と競ひをり
葱坊主授かりしもの透けてをり

昨日は桜井市の市民団体の主催による第50回 鎮守の森を観に行こうかいに参加した。
今回は「桜井から鳥見(とみ)山周遊へ」ということで前半は古社・等彌(とみ)神社宮司さん、後半は忍阪地区区長さんの案内で、神武が大和平定したあと初めて行われた大嘗祭の聖跡とされる鳥見山の周りを時計の反対まわりに一周しながら、山裾部分はすべて古墳群といわれる各集落の氏神さんをめぐり、倉橋、忍阪(おっさか)を経て隠国(こもりく)のとば口朝倉までという古代万葉巡りのコースである。
鳥見山は先日行った安倍文殊院の東の方向にあり、まず最初に立ち寄った若桜神社西座は東北の大将に任じられた安倍氏祖神を祭神とされているそうで、ここにも2,3年前ほどに現安倍総理がお詣りしたということだ。
朝8時半から午後5時までという長時間、途中下居(おりい)神社への急坂にあえいだりするシーンもあったが、山をくだったら倉橋で音羽(おとば)山が真向かいに見えて元気をもらったり、弁当を食べて元気を回復したあと、現在唯一入山が許されている天皇(崇峻)墓とされる天王山古墳の玄室に探検気分で潜ったり、忍阪の里では最古の石仏・薬師三尊仏さんに出会ってほっこりしたり、鏡王女の墓で額田姉妹を偲んだり、荒れる春嵐などすっかり忘れてしまうほど夢中で歩いた一日だった。
写真は下居神社から下ってきて倉橋神社から。山は正面が高さ851メートルの音羽山、談山神社があるところである。右にわずかに山裾の見えるのが多武峰北端で、舒明天皇「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも」(万葉集巻8−1511)で知られる小倉山であるという説あり。
犬養「万葉の旅(上)」(平凡社ライブラリー)の36ページにある「倉椅(くらはし)山」とは音羽山という説がある。この山にはさらに仁徳帝時代の悲恋話もあって調べれば調べるほど古代への思いを深くしてゆく。