天麩羅に

葱坊主ぽんと音でるやうに摘む

葱坊主シーズン。

これが出るとネギはもう子孫を残すステージになるので、固くなったりして食すには適さなくなる。
ただし、俗に言う葉ネギの類いはこれを取り除けば新しい芽が生まれ秋に再び株がふえる。だから、一度葱を植えれば半永久的に採りつづけることができる。
店で買ってきたネギも根のついている部分を残してプランターなどに植えると、同じように再生可能である。
ネギは少々枯れても生命力旺盛で、夏などは株ごと干し上げて秋口にそれを植えると質のいいネギの株に太ってきて食味もいいと言われる。
この葱坊主はまだ若いうちなら天麩羅などで食べれば、甘くてなかなかうまいものである。
今日はひねればポンと軽快な音が出るので、調子に乗って目につくもの全部摘んできた。

観光シーズン

学らんにあふるる古刹葱坊主

ずんぐりとした葱坊主が花を咲かせている。

そんな季節だ。葱坊主は若い頃なら天麩羅にしてうまいが、花が開いては葉身も固くなってうまくなくなる。
九条ネギなどは株分けして植え替えれば再生して繰り返して使えるので重宝する。余ったものなどは野菜のコンパニオンプランツとして使えるので無駄にするところもない。一度種まきしたら永久に使い回しできる便利な野菜である。
観光シーズンとなって、県は観光客を呼び込むのに一所懸命税金を使っている。とくに修学旅行生の多い当地では修学旅行生にも一人2,000円の補助金を出すという大盤振る舞い。学ラン諸君が古刹を行儀よく巡る様子などはさながら葱坊主の列を思い起こさせる。

開花したか

葱坊主高く積まれて濃き匂ひ

4月第一日曜日。

自治会総会が開かれた。
今年は輪番の役が回ってきて、毎月いろいろ用事が増えそうである。
実は、昨年打診されたのを、手術入院があるかもしれないといったん断ったのだけど、個人的理由をずっと通すわけにもいかなかったのである。
立派な自治会館もあってそちらの管理も引き受けることになったが、どうやら消防署のお達しで今年からは「防火管理者」を置かなければならない規模にあるとかで、20数年も昔取得した資格が今さら役立つとは思わなかった。この資格を取るには二日間の講習を受けなければならず、現役の若い人たちにお願いするにはなかなか難しい。来年はどうなるか分からないが、昔の経験が住んでる町に役立つならそれはそれで意味もあるというものだろう。

総会、事務引き継ぎが終わって外に出たら、畑のすみに葱坊主が積まれていて、その特有の匂いが風に運ばれてくる。同じ畑には姫踊り子草、蒲公英が群れていて、薹がたった野菜も花をつけ、これに開花宣言があればまさに春爛漫というところ。

適量

食べきれぬままことごとく葱坊主

ものにはほどがある。

昨年暮れに初めてネギの苗を買ってきて畑に植えたのが、春になって食べ頃を迎えたのはいいが、株が多すぎたようで、採っても採っても次から次へと大きくなってくる。
だいたいがネギというのものは、薬味とか、多くてヌタの材料くらいしか使わないので小家族なら一株もあれば十分だったのだ。

春嵐の歩く会

葱坊主音羽の山と競ひをり

葱坊主授かりしもの透けてをり

倉橋神社から音羽山を
昨日は桜井市の市民団体の主催による第50回 鎮守の森を観に行こうかいに参加した。

今回は「桜井から鳥見(とみ)山周遊へ」ということで前半は古社・等彌(とみ)神社宮司さん、後半は忍阪地区区長さんの案内で、神武が大和平定したあと初めて行われた大嘗祭の聖跡とされる鳥見山の周りを時計の反対まわりに一周しながら、山裾部分はすべて古墳群といわれる各集落の氏神さんをめぐり、倉橋、忍阪(おっさか)を経て隠国(こもりく)のとば口朝倉までという古代万葉巡りのコースである。
鳥見山は先日行った安倍文殊院の東の方向にあり、まず最初に立ち寄った若桜神社西座は東北の大将に任じられた安倍氏祖神を祭神とされているそうで、ここにも2,3年前ほどに現安倍総理がお詣りしたということだ。
朝8時半から午後5時までという長時間、途中下居(おりい)神社への急坂にあえいだりするシーンもあったが、山をくだったら倉橋で音羽(おとば)山が真向かいに見えて元気をもらったり、弁当を食べて元気を回復したあと、現在唯一入山が許されている天皇(崇峻)墓とされる天王山古墳の玄室に探検気分で潜ったり、忍阪の里では最古の石仏・薬師三尊仏さんに出会ってほっこりしたり、鏡王女の墓で額田姉妹を偲んだり、荒れる春嵐などすっかり忘れてしまうほど夢中で歩いた一日だった。

写真は下居神社から下ってきて倉橋神社から。山は正面が高さ851メートルの音羽山、談山神社があるところである。右にわずかに山裾の見えるのが多武峰北端で、舒明天皇「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも」(万葉集巻8−1511)で知られる小倉山であるという説あり。
犬養「万葉の旅(上)」(平凡社ライブラリー)の36ページにある「倉椅(くらはし)山」とは音羽山という説がある。この山にはさらに仁徳帝時代の悲恋話もあって調べれば調べるほど古代への思いを深くしてゆく。