育て苔よ

養殖の型のまちまち囮鮎

釣り人が何人か竿を振る河原に降りてみた。

テントにはだれもおらず、一尾五百円のおとり鮎泳ぐ水槽と銭箱があるだけ。
休憩に上がってきた鮎師に聞くと、ごたぶんにもれず吉野川も昔に比べ鮎が激減だそうだ。尺の鮎がばんばん釣れた話など、同年齢とおぼしき人と昔話の花を咲かせる。
去年などは度重なる大水で苔がさらわれて、散々だったという。
今年は、もうしばらく晴天が続けばいい苔が期待できそうだというが、今日はたいして釣果はあがってないとこぼしていた。

鮎に見る列島模様

鮎宿の素泊まりにして解禁日
毛針巻く鮎の解禁待ちきれず
届きしは尺で知らるる川の鮎
望外のツ抜けとなりて鮎解禁
鮎宿の嫁の軒より竿出して
鮎宿の嫁の竿出す軒端かな
串打は伯父の直伝鮎を焼く
婆今日も夕餉の菜と鮎を釣る
鮎の滝飛ぶを待ちゐる網の漁
泳ぐ鮎捕ってはならず笠網漁
飛ぶ鮎は捕ってかまはず笠網漁

楽しそうである。

鮎は食うより獲る方がである。
句もまた食材として詠むよりも、春から秋にかけて移ろう釣や網や簗などを捉える方が動きがあるので幅が広がり面白くなる。逆に言うと、鮎を食う句というのはシーンの設定をどう詠むかにかかっていて上級者向きとも言える。
この鮎に関わる季題は多く「鵜飼」、「魚簗」など漁法に関するもの、年魚として「若鮎」「鮎汲」は春、「落鮎」は秋など、季節に応じた生態をめでるものがあり傍題も相当数ある。
最後の三句の「鮎滝の笠網漁」は愛知県新城市の豊川支流で行われている漁。水の中を泳ぐ鮎は捕ってはならず、滝をのぼろうとする鮎が水面から飛びだすときを狙って笠のような網を指しだして掬う漁である。ところ変われば鮎とのつきあい方も様々で、昨日の「鮎占」もそうだが、この多様な列島模様がいい。

ここで「ツ抜け」とは、釣用語で釣果の数を言うのに「ツ」を使わなくなる十以上という意味である。
一ツ、二ツ、三ツ、。。。
これが百を超えると「束釣り」と言う。「一束」とは百のこと。
釣には釣のまた奥深い箴言がある。語り始めると終わらなくなりそうである。

おんべまつり

宮川の鮎宣はす神事かな
宮川の鮎の宣託受く神事
鮎占の神事に凶の出たるなし
祓はれて吉凶占ふ鮎となる
祓はれて神さび勝る鮎となり
宮川の鮎の神託申しけり
大吉と出でて歓声鮎占ひ
宣託の鮎放たれて神事果つ

三重県大紀町水戸神神社の鮎占神事である。

毎年7月第一日曜日に行われ、一年の商売繁盛や家内安全、または豊作や大漁を占う。正式には「おんべまつり」と言う。
あらかじめお祓いを受けた鮎を宮川上流の大内川の渓谷の洞に投げ込んで、うまく入れば「大吉」、岩にバウンドして入れば「中吉」、外れても「小吉」という託宣がくだる。これを月の数だけ行って何月は大吉、何月は中吉というふうに決まって行く。

この神事が行われるのは伊勢神宮の別宮・瀧原宮のある瀧原である。南紀方面へは今は高速道路もできて、名古屋から尾鷲へ行くにも何時間もかからずに済むようになったが、若い頃は国道42号線を延々南へ走らせたものだ。
しかし、昭和40年代前半に整備された当時から、国道はこの瀧原宮があるところだけは珍しくストレートな道になっており、なにやら立派なお宮があるなあという程度の認識しかなかった。だから古代史などをかじるようになってこの神社の由緒を知るようになってからというものは、大杉が覆っていた厳かで立派な神域にいつか立ち寄って見たいと思うようになった。

そんな折りに、言葉だけは聞いたことのある「鮎占神事」が実はこの近くを流れる宮川の渓谷で行われていることをテレビで知った。それが「おんべまつり」だった。
澄んだ渓流の鮎も味わいたいし、一度は拝観したい行事である。

古座川

鍬ふる手今日は二間の鮎の竿
鋤鍬を竿に持ちかへ鮎を釣る

和歌山県古座川は鮎の名所。

地元では70,80を越えたおばあちゃんでも自ら竿を振る。鮎の友釣りで鮎寿司をつくるのだ。
また、古座川に限らず鮎が豊富なこの地方では「あぶり鮎」といって、釣りたての鮎を火にかけて焼いたものを乾燥させ、これを料理の出汁に使う。絶品は素麺の出汁で最高の贅沢でもあるが、やや甘めの汁に仕立てると鮎自体の甘味がうまく醸し出されて、頭から尻尾までくたくたに柔らかになったものがいただける。
ちょうど、鰊そばのあのニシンの味付けをぐっと抑えめにした感じとでも言おうか、塩焼きや刺身の味からはとても想像できない、それこそ絶妙の味なのだ。

今はとても高価でなかなか手に入らないのが残念だが、昔はどこの家でもハレの日はあぶり鮎の出汁で煮た煮物が膳に上ったものだった。