和の芸能か

内陣の声明よそに木の葉散る
声明の抑揚絶えず木の葉雨

声明には独特のリズムというか調子がある。

揺れたり、上昇したり、下降したり、せり上がるようだったり、様々な動きがあって素人が簡単に真似できるものではない。
譜面には記号が書かれていてそれをなぞるように「引く」わけだが、西洋の音階という概念を持たなかった和の芸能全般にも通じるものがあるのではないか。

木の葉が散らんとするとき、もしわずかな風でもあれば声明の調子のように、くるくる舞いながら落ちてゆく。声明を聞いていてそんな光景を想像した。

“和の芸能か” への4件の返信

  1. お経ですね。宗派によって節回しがが違うところが面白い。真宗高田派の文類偈、甘ったるい抑揚を思い出します。まさしく和の芸能の原点でしょう。

    1. 今でも毎日「文類偈」を唱える家庭はあるんでしょうか。最近は法事などでもこうした念仏は聞かないようになったようです。

      うちは禅宗系ですが不信心でそうした習慣はありませんでしたが。今頃になって毎朝般若心経を唱えております。

      1. いろんな経文があるようですが以前親戚の家で聞いたのは何宗かは知りませんが何とも物悲しい節廻しだったのを記憶しています。
        我が家では毎朝晩、法華経方便品第二と壽量品第十六を唱えます。力強い響きです。
        これらは長年の習慣で諳で唱えられます。
        二歩さんも法華経で送りました。

        百人一首だってその気になればキヨノリさんのようにすらすら覚えられるとは思うものの70代で覚えるのはなかなかきつい・・・
        覚えても忘れる方が早いのです。
        何でも若い時に記憶したものは忘れません。

        近頃の毎朝は捜し物に始るのです。
        これらが見つからないとすごいストレスになって困りものです。

        1. おお、朝晩にお経を唱えられていますか。
          読経の後はすかっとした気分になれていいですね。
          私は今頃になっての般若心経暗記に苦心暗澹しています。覚える一方ですぐに記憶から消えてしまう。百人一首丸暗記などとても無理ですわ。

          最近は眼鏡がなくても不自由しないので、眼鏡がないないと騒ぐ日々からは解放されております。
          必需品も限られますし、ものを減らせば自由になれると言うことですかね。

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