山育て里の暮らしに台風禍
一夜明けて、次々と惨状が映し出されるテレビ。
大津波の映像さながら地獄絵を見るようだ。
山間地で豊かとは決して言えないけど、父祖代々にわたって連綿と営まれてきた生活が一変する。
あの懐深い山々に囲まれた平穏な生活と美しい風景の復活を祈らずにいられない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
山育て里の暮らしに台風禍
一夜明けて、次々と惨状が映し出されるテレビ。
大津波の映像さながら地獄絵を見るようだ。
山間地で豊かとは決して言えないけど、父祖代々にわたって連綿と営まれてきた生活が一変する。
あの懐深い山々に囲まれた平穏な生活と美しい風景の復活を祈らずにいられない。
空鉄砲今はなつかしししおどし
田が黄金色に染まる季節となった。
網をかけた田も多いが、昔の空鉄砲式のものが鳥たちに見透かされて効き目がなかったのかどうか、最近は電気仕掛けのやたら甲高い人工音の鳥除けを用いているところも見かけるようになった。
問題は、最初はうるさい鳥が鳴いているとばかり思っていたが、実は人工音で通るたびにだんだんと不快にさせる音なのだ。空鉄砲は間の抜けたような間隔でぽかーんと鳴るだけで、時間の流れにも余裕を感じさせたものだが、鳥の悲鳴のような声が絶え間なく流れる現代方式はただの近隣迷惑の雑音にすぎない。
紫も古来に遠しふじばかま
色の名に恥じずあらましふじばかま
ようやく台風が遠のき今日は久しぶりの散歩日和。
仮住まいは古い住宅街の中にあるので、よそのお庭で秋の七草にでもめぐり合うことができるかと期待していたが案に反してまったくみつからない。
栽培品種の花はボックスに植えられたりして盛んに見られるのだが、やはり古来の地味な草花は敬遠されるのだろうか。
しかたなく急坂の向こう側にある駅前の花屋さんまで足を延ばして、ようやくフジバカマを見つけることができた。ただ、妙に赤っぽいので帰ってから図鑑で見ると、やはり栽培品種のようだった。
古来種のものは近年数を減らしているとのことだ。
氾濫の川や健次が鳳仙花
台風12号のニュースが続く。
紀伊半島一帯に降らせた雨によって各河川が氾濫する画像を見ていたら中上健次の小説「鳳仙花」を思い出した。
健次にしては珍しくある女(母がモデルといわれる)の生涯を淡々と綴った小説だが、古座川のほとりの鳳仙花が小説の終章を締めていた。今頃は豪雨と強風にか細い体を震わせているのかもしれない。
違わずに二百十日の暦かな
処暑や二百十日、二百二十日は台風襲来の特異日だが、今年はまさに処暑といい、この二百十日といいお約束通りに台風がやってきた。しかも今年はやたらに足が遅いものだから蒸し暑さが続くのには閉口してしまう。
もしかして二百二十日にも同じような台風が来るのか知らん。
法師蝉ジーと鳴いたら大団円
油蝉と入れ替わるようにツクツクボウシが鳴き始めた。
3センチ足らずの体なのに、あの大音声の源がどこにあるのか不思議でならないが、まるでルーチンのように一定時間鳴く。そのあとジーとなったら決まって終わりとなる。そしたら次の場所へさっさと移動するので、しつこく鳴きつずける油蝉たちよりはよほど作法を心得ているのかもしれない。
かなかなや夕暮れ早き杉林
両親は熊野の山奥の出身であった。
お盆の頃に帰ると、周囲を杉や檜の山に囲まれた里は夕暮れが早足でやってきて、蜩のかなかなという響きが妙に寂しかった。