西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声
桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。
ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声
桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。
ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。
逝かるべき母の秋思の気高くも
今日は八回目の母の忌日である。
母は人一倍の暑がりで、その年の秋が訪れても毎日クーラーが欠かせず、それでも暑い暑いと訴えるのだった。
ある日の夕方、気がつくと網戸を開けて何を考えるのか、まるで放心したように柱にもたれては外気に触れるのを見た。
その後ろ姿はどこか気高いものを感じさせ、声をかけるのさえためらうのだった。
そのあと、一か月もしないうちに母は旅立った。
今朝はいつも以上に時間をかけて心経を供えた。
颱風を追ひ打つごとく夕茜
不気味な雲が西へ飛んでゆく。
あきらかに台風は去ろうとしているのは分かるが、その黒雲がこれまた不気味にも夕焼けているのだ。
ただそれは尋常の色ではなく、橙がかった色が雲といわず空全般に広がっているのだ。
なにやら不吉を思わせるゆうやけで、これから上陸するという静岡、関東の無事を願うのみである。
月無くて明日の闘球なかりけり
本来なら後の月ですばらしい月の夜のはずだが。
台風の影響であろう、空気はやや熱と湿気を帯び、ちょっと動くだけで汗が流れてくる。
ちょっと動くというのは、台風に備えてのいろいろのことで、殘り蚊に刺されながら重いものを動かすなどなかなか重労働である。
とはいえ、先般の風台風でひどく被害を受けられた地域の方々のご苦労に比べれば何と言うレベルのものではないが。
四年待ったラグビーW杯の好試合二つがすでに中止と決まって、首都圏はじめ各地が緊張に包まれている。ひたすら無事を祈るしかない。
菊の日の茶飲み話の余生かな
今年は10月7日が旧暦9月9日。
つまり、重陽の節句であるが、菊酒を飲むでもなく、高きに登るわけでもなく、いつも通りの時間を家人と過ごすだけである。
この日は高きに登って長寿を願う日であるわけだが、延命措置はしてくれるななど、いつものとりとめのない話に終止して、幾病かを抱えながら老いていくのみである。
夕月の刃蒼みてすさまじき
びっくりするほど鋭い。
触れれば指が切れるような凄味を帯びている。
夜になるとやや黄味がかかってやわらかい月に戻るのだが、この時期の夕月はもう冬の冴えの様相を見せ始める。
明後日が後の月で旧暦九月十三日、十三夜である。今宵は十一夜であるが十分に美しい。
しばらく立ち止まっていると、露がまといつきそうなほど夜は冷えてきている。
長時間は見てられないが、十三夜は台風の影響があるかもしれないので一見の価値のある今夜の月である。
新蕎麦の熱をくぐればかほりたつ
新蕎麦の切る音拾ふラヂオかな
割箸を割くももどかし走り蕎麦
岩峰の里に一ㇳ日の走り蕎麦
旅の誌に載らぬ店有り走り蕎麦
新蕎麦の熱き蕎麦湯の好ましく
山降りて温泉の身のほてり走り蕎麦
相席で困ることなし走り蕎麦
新蕎麦が待ち遠しい頃。
なかでも旅先で食った、思わぬ店での思わぬ味の蕎麦が記憶に生々しい。
それは、蕎麦の味だけではなく、出汁の加減であったり、座敷の佇まいであったり、お通しのその地方のものであったりと、さまざまなものを伴っているのが普通で、「うまいなあ」と思った店はやがてテレビなんぞに出て有名になってしまうと二回目に行ったときにはがっかりすることもあるのだけど、やはり伝統の味を守っている店が今でも頑張っていると聞くとまたまた出かけてみたくなる。
上田、あるいは小諸、どちらの店も健在だろうか。