Uターンラッシュ

顔見せに来た子ら帰る二日かな

あっという間の正月休みが終わり娘夫婦が帰路についた。

かつて自分が帰省に往復した道を娘たちがたどっているのであるが、道路事情が改善されたとはいえUターンラッシュの渋滞は変わらないだろうから果たして何時にたどり着けるやら。
そんなことを気にかけながらの正月二日である。

帰省子に 土産もたせる 二日かな

妻が子供たちに用意した好物を持たせるのも恒例となった。

黒豆

人の世は春の節目や巳年明く

一日中穏やかな元日だった。

2階の部屋から三輪山のあたりに上る初日の出に手を合わせる。誰も酒が飲めないので、淹れたてのコーヒーがお屠蘇代わり。去年採れた丹波黒豆が意外に柔らかくうまい。もう泥にまみえる必要もない歳になったが、やはり怠惰を戒めたい。

中日過ぎて

初場所や容易ならざる掲額かな

今場所から国技館の日本人優勝掲額が消えたという。

25場所も日本人力士の優勝がないなんて寂しすぎ。
今の星取状況では稀勢里にしか希望を託せないが、千秋楽まで希望をもたせて欲しいものだ。

奈良の父も

御歌会始めや東北魂鎮め

昨日震災10ヵ月目を迎えた今日は皇居で歌会始が開かれた。
入選歌には昨年の震災を詠み込んだものもあり、両陛下も被災地を慰問されたときの模様を揃って詠われたことが印象に残った。
奈良からの入選歌は被災地の息子を案じる歌であったという。

松過ぎて

元日に来たためし無し彼奴の賀状

今日になって彼の年賀状が届いた。
旧住所からの転送だったのでいつもよりさらに遅い。新住所をメールで報せておいたはずだが、いかにも彼らしい。

新薬師寺

神将のおはす本堂飾りかな


十二神将像で知られる新薬師寺へ。
本尊の薬師さまを加えるとそれだけで国宝13体。豪勢なことである。


干支の守護神前で。

門前には十市皇女を祀った比賣神社と歌碑があった。

河の上の ゆつ岩むらに草むさず 常にもがもな 常をとめにて・・・・・十市皇女(万葉集1-22)


皇女は天武と額田王の娘。大友皇子に嫁いだわけだが、壬申の乱は婿と父との戦であった。

実は今日の目的は隣にある奈良市立写真美術館であった。
知人から、昵懇にしておられる仏像切り絵作家Nさんの個展があることを紹介されたからだ。
昨年秋に倒れ現在リハビリ中という、昨日届いた知人からのメールには大変驚いたが、パソコンに入力するだけで大変な労力を要するといいながら送ってくれたメールからは、電車に乗れるようになったらいつものように必ず奈良に行くとの強い意志をくみ取ることができた。
Nさんにそのことを伝えるために訪問したわけだが、作品をみて驚いた。とても十年前に始めたとは思えない緻密なワークなのである。グレーがないので黒地とそれを切り取ってできる白だけで表現する世界。とくに指の微妙な影と光が印象的だった。
下絵は描くものの、どこを削るかが悩ましいというお話しを伺ったときには、俳句とまったく同じ世界だと思った。
溢れる思いや言葉をいかに濯ぎ削ぎ落とすか。短詩系の醍醐味でもあるが、めったに味わえないものでもある。

本家龍田大社

風神の社静もる5日かな


きょうの散歩は三郷町龍田大社を組み入れる。

正月五日ともなると参拝するひとも少なく、冷たい空気がぴーんと張りつめている。
ここは崇神天皇が祀らせたという大層古い神社で、風神の神様が主神。大和盆地を風水害から守ろうとしたのだという。
当時は難波と大和を結ぶ国境にあったとされているが、土砂崩れなどで今の場所に移されている。

斑鳩には龍田神社があるが、これは山背以下太子遺族がことごとく自害したのを悼み、特別に斑鳩の地にいわば分社の形で移されたものといわれる。
したがって、紅葉伝説の竜田川は今の竜田川(実際は平群川)ではなく難波大和の国境付近を流れていたはずだという。
そういえば今の竜田公園や周辺のなだらかな地形も含めて紅葉が特段名所という風には見えないのも合点がゆく。