遙拝

松過ぎて令和初めの詣なり

末の子が今日帰るという。

巳年で大神神社には縁があるとかで以前はよく詣でていたがコロナ禍で帰省もかなわず、おそらく令和になって初めての帰省、宮詣でになるはずである。
明日大神さんにお参りして明後日帰京するというあわただしさだが、いよいよオミクロン株旋風が席巻しそうなことでもありせいぜい疫病退散をお願いしておくのがよさそうである。
ちなみに、私ら夫婦はどういうわけかお参りした年にかぎっていいことがないというジンクスがあるので揃っての参拝は控えている。ましてコロナ禍でもあり、遠くから目に入る三輪山に向かって遙拝の儀礼で容赦願うことにする。

面会不可

右手にもメス入るるとふ年新た

五年前につぐ手術の日が近い。

家人の手術前のPCR検査が明日、手術入院が来週。
前回は左手、今回は右手と変わるだけの同内容の手術だから、手術そのものは心配はしていないが問題は術後である。
前回の経験から言えるのだが完全復活までには1年くらいかかる。そのうちまあ半年間は右手が使えないということは覚悟しなければならない。
ただ今回はコロナ禍ということで入院中は面会不可。洗い物の受取、届けなどいささか面倒なことである。

大阪から腐る

初刷の紙媒体の意気盛ん

元日号で気づいたのだが、新聞もずいぶん変わったものだ。

かつては本紙が分厚いだけでなく特集版も10ページ以上あったように思うのだが、M紙にはまるで元日らしき雰囲気がない。正月特集もなく平常の内容とどこも変わらないものだった。
最近、テレビもそうだが大手新聞にもことなかれの記事が多くつまらないメディアとなっているように感じてならない。新聞離れは以前から言われていたことだが、最近のテレビの退潮もいちじるしい。
とくに関西に住んでいると、テレビは吉本芸人に乗っ取られて知性のかけらもないし、コロナの死亡率日本一の府の知事などがタレント扱いで毎日のようにどこかの局に顔を出している。
これだけメディアあげて維新政治をもちあげては、テレビしかみないおばさん、おじさんは「知事はようやってる」となる。
IR会場の廃棄物処理など整備に何百億も公費をかけると言っても、マスコミはだれも取り上げないし、万博にも沈默したままである。
読売と維新が協定を結ぶに至っては戦前の大政翼賛会を想起させるなどマスコミの完全なる自死である。
日本は大阪から腐る。そんな気がしてならない。

幸多かれ

願文に猫の名のあり初諷経

子供の帰省あわただしい年末年始も今日でおしまい。

ニュースでは今日は帰省ラッシュのピークだそうで、この稿を書いている今頃はまさに渋滞の真っ只中にいるはずだ。
子供が帰省中であろうと勤行は欠かさないが、初諷経とあれば今年一年の家族の健康、幸いをも願うことになる。このなかには飼猫や飼犬も含まれる。一人ひとり、一匹いっぴき名を上げて幸多かれと願うのは許されていいだろう。

ホームバーバー

母方は眉寿の家系や初鏡

眉毛が白くて長くなるほどの長寿を祝して眉寿というらしい。

ここ十年ほどは眉毛がやたら伸びて、かといってそれが似合うような年齢まで達してないのが恥ずかしく、時折の手入れが欠かせない。
一方で、一年近く伸ばし続け蓬髪状態だった髪を、年の暮に思い切ってセルフバリカンでカットしてみた。いざ切ってみると洗髪やその後の手入れが簡単ですむことにあらためて感心もしている。せっかく買ったヘアカッターなので、家人のショートヘアにも挑戦してみたがこれが意外とうまくいった。コロナ禍で理容室の衛生状態を気にすることもなく、これからは毎月揃ってホームバーバーですっきりできそうである。
すっきりした髪に整えた眉毛。鏡で見ても大きな失敗はしてなさそうである。

甘味、旨味

人日の臼歯につぶす雑穀米

人日、じんじつ。

すなわち、1月7日のこと。俳句をやらないひとには工数の単位の「にんび」と読むことだろう。
古代中国の占いの書に、6日までは鶏や羊など動物を占い日が続くが、7日に初めて人間を占うとあるらしい。この日に天気よければ吉、雨なら凶だとか。
昼過ぎに雨が雪に変わったので、今年は凶のなかでも大凶かもしれない。時はあたかも非常事態宣言の日。昨年の春よりゆるい規制なので感染は横ばいが続いて、簡単には収まらないだろうというのが専門家の見立てだ。
ガースー政治には何一つ希望のもてない状況下では、ひたすら身を縮めているしかあるまい。
今夜は七草粥ならぬ二十穀米が夕食に出て、久しぶりに奥歯を鍛えてやった。すると、甘味がじわじわ広がって、これからもときどきは雑穀米をお願いするのであった。

笑うが吉

贔屓する噺家追うて初笑

新年ともなると人気噺家はあちこちの席亭をあわただしく巡る。

一年で一番の稼ぎどきである。
であれば、噺家を追っかけるファンがいたとしても不思議ではなかろう。
行く先々で笑いをとる噺家と、つかの間の笑いでこの世の憂さを払いたい庶民。
笑いにはなんの罪もないし、寿命すら延びるという研究結果がある。
今年こそもっと笑っていたいものである。