土佐街道

信号のながい坂みち古雛

昨日は高取町の「町家のひなめぐり」で吟行会があった。

奈良盆地の南端最奥部、電車で行けば近鉄吉野線で飛鳥の次の駅「壷阪山」で降りると、すぐにかつての高取城城下町を東西に貫く「土佐街道」と呼ばれる町家の家並みが続く。「町家のひなめぐり」とはこの街道に沿って各町家で披露されている古雛を訪ね歩くイベントで、今年で7回目になるそうである。
一方、高取城というのは日本最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる(Wikipedia)。当時の城郭を再現したイメージ写真をみると、たしかにスケールにおいてもなかなかのものであり、今は城跡しか残されてないがそこを巡って飛鳥へ抜けるハイキングなどファンは多いと聞く。
町並みの名「土佐」のいわれは、何でも6世紀初め都の造築にあたって土佐から連れてこられた使役人夫が帰ることができなくなってこのあたりに居を構えて棲みついたんだとか。何とも古い時代の話で、すぐ隣接する飛鳥が帰化人たちの土地だったという話と合わせて、あとから都に来たものが盆地の中で残った土地をよすがとし、さらに都がふくらんでゆく話というのは実に面白いものだと思う。

掲句だが、駅を降りたあと吉野へ通じるR169を越えるとき歩行者用押しボタンを押して渡るのだが、これが結構長い時間信号が変わらないのだ。しばらく待たされてから、ようやく山城に続くゆるい上り坂の雛巡りが許される。

明日からは高取を句材にしたものをいくつか披露していく予定。

追)浪曲の「壺阪霊験記」で有名な壺阪寺もあります。

足元注意

近道は閉ざされてをり犬ふぐり

いつもの散歩道が一部工事中で通行止めになっている。

ま、もともとここは何となく気が悪いような道で好きではなかったこともあり遠回りも苦にならないし、まわり道の方がかえって句材も多くありそうなのでいいのだが。

一方、河川敷ではずっと芝生部分を歩きたいのに、足を下ろす場所もないくらい、そこかしこに犬ふぐりの花が広がってきていて通せんぼをするようになった。土足厳禁だと叱られているように。
今ではほとんどが外来種でオオイヌノフグリなんだが、名前とは異なり風が強い河川敷では花自体はとても小さくて注意しないと見過ごしてしまうほどだ。

あしもとをごらんください犬ふぐり

今日は俳句会の吟行のため予約投稿です。

貸し農園

てはじめに馬鈴薯植うる貸し農園

今年は家のすぐ近くに借りた。

広さは約10坪。去年借りたのより倍くらい広いので、いろいろ植えてみることができそうだ。とくに、近くになったということは有利な点があって、毎日収獲したり芽を摘んだりとかしなければいけないもの、たとえば胡瓜や茄子なども栽培対象になる。
来週あたりジャガイモ一畝分を植えてみようと思う。

西陣の雛

嫁かぬ三十路がひとり布団雛

今日は桃の節句。

夕食は我が家では珍しく粕汁。酒をまったく受け付かない家族にとっては、奇しくも白酒、甘酒ならぬ雛祭りらしいメニューだと大笑い。
知人のお手製だという西陣の立派な布団雛をささやかに飾って夜はすぎてゆく。

はるならひ

春北風やあとを電車が渡りけり

三寒四温とはいうが、それにしてはすごく戻るものだ。

大阪では1月下旬の気温だと。当地も似たようなものだろう。
「はるきた」と読む。東では「はるならひ」。
隣の中国・四国、関東などではすでに春一番が吹いてるが当地関西は素通りで肩すかしをくらっている。そのかわりに春北風のお出ましだった。
川の近くに駅があるので近鉄・生駒線が大和川を越えるときはゆっくりと渡るのだが、今日はなおのことさっさと春北風に追い越されてしまうのだった。

季節感

壺焼や同数残るからとふた

壺焼きは春の季語。

磯の匂いが強く立ち上って春本番を告げるものに違いないが、産卵期を禁漁期間としたりすることもあって一般には7月頃解禁なので夏の季語と勘違いしやすい。たまたま歳時記を繰っていたら春の中に見つけたので認識を新たにした次第。最近は養殖ものが多くなってきたので、そういった季節感はやがて薄れていくかもしれないが、大事にしたい日本人の季節感である。

二月尽

耕しや一直線の軌跡もて

春。田や畑に鍬を入れる光景が見られるようになった。

今はトラクターを使うのが普通だろうが、人によっては均等な幅や高さの畝があるかと思えば、その反対に曲がりくねったり幅がまちまちだったり、熟度や性格にもよるのだろうが、やはり畝は一本筋が通っているのがいい。不揃いの畝からはうまい成果が得られるようにはとうてい思えない。