君の名は

萩の芽や白とこたへん人問はば

冬の間前から気になっていたのだが、ようやく分かったことがある。

河川敷には根元からすっぱり刈られた株がいくつもの塊になっており、人工的な植栽だとは分かるものの、これは一体何の草木なんだろうとかねてからの疑問があった。このたび通りかかると、ちょうどシルバー人材センターの人たちが屈むように作業しているので思い切って尋ねてみたところ答えは萩であった。せっかくの芽吹きが雑草に覆われてはいけないので、今のうちに株の周りだけ雑草を引いているのだと言う。
そう言えば去年の冬もそんな疑問を持ちながら、春になってからは散歩から自転車になってしまったので芽が伸びて成長した姿を見ていないのだった。何色の花が咲くのかは聞かなかったが、萩とくればそれは白でなくてはならないだろうと一人勝手に思うのだった。

帰る

遅く来てはや帰りける鳥のあり

後入れは先出しルール鳥帰る

鳥帰る譲れぬことのただひとつ

帰る鳥抱えしもののほどのよき

しょふもののほどよく重き鳥帰る

真鴨の姿がここ数日見られない。

11月頃だったか大和川に一番遅く来てJR鉄橋付近を縄張りにしていたのだが、どうやらもう旅立ったようだ。次に帰るのはおそらくヒドリガモで小ガモは一番最後になるだろう。面白いもので、早く来たものほど遅く帰るという法則が成り立っている。
渡りの中には冬季であっても定置を求めないで移動しているものがいるのだが、たいていは一カ所に餌場を定めるほうが多いようだ。
川などを散歩する際にはこのような視点で鳥たちを観察するのも一興であろう。

ひらりひらり

ひらひらと揺れて降りけり初雲雀

一片の散華なるべし初雲雀

先日、今年初めて雲雀の声を聞いた。

聞いただけでなく空き地に降りたって餌を探す雲雀と目と目が合ったのだ。だが彼は(彼女は?)いっかな逃げようとはしない。マイペースで空き地を逍遥するので拍子抜けするほどであった。
さらに今日は、50メートルくらいの高さの一点に羽を広げたままとどまって鳴いているのを不思議に思って見ていたのだが、そこから意を決したように一気に降りてきた。その降り方はというと、やはり羽を広げたままゆらりゆらり、ひらりひらりとまるで木の葉が舞い落ちるように、しかし確実に目標に向かうのだった。気がつくとそこには既に先住者がいてさらに驚いた。

寒肥

寒明や封を切りたる油かす

寒肥という言葉があるが、立春後の施肥はなんと呼べばいいのだろう。

図書館前に木洩れ日の道という小さな広場があるのだが、この一帯を管理する業者がいて、綿花油粕を主にして骨粉を適当に混ぜながら施肥したり剪定しているのだった。ちょっと残念なのは地面に届こうかという立派な枝垂れ桜の枝まで思い切って刈ってしまうのだった。

しだれ咲く前に桜の剪られたる

春つげ魚

鮨喰ひて味思い出す鱵かな

鱵(さより)ってどんな味だったかな?

淡泊な味であることは確かだが、思い出そうとしてもなかなか言葉として出てこない。歯ごたえは割にあるほうで「じゃきっじゃきっ」という具合、逆に柔らかいと何だか古いんじゃないかと思ったりする。刺身では秋刀魚同様に半身をくるくるっと巻いて盛りつけられたりするが、味は全くの別物で秋刀魚は特有の臭みがあるのに対して、鱵は無臭かつ淡泊である。

立ち込みてこませ打ったり鱵釣り

吹き返すこませ浴びつつ鱵釣り

若い頃はちょうど今頃になるとシーズンだというのでよく三浦半島に釣りに出かけたものだが、結局サヨリは一度も釣れた試しがないのだった。代わりに釣れたのがウミタナゴで、これも春つげ魚のひとつだが味の方はと言うともうひとつだった。

芝の削り跡

綱引ける犬放ちたり古き草

午後から青空が顔を出したが、風は依然冷たい。

親子連れで犬を連れて散歩中の親子がいるが、犬がしきりに綱を引っ張って先を行こうとする。河川敷にはあまり人影もないからであろう、ロープを外してもらって自由になった犬は勇んで河川敷の枯れ芝を走り回った。

枯れ芝にはマナーをわきまえないゴルファーによって、ところどころに削り取られた跡がついている。

みぞれ時雨

窓曇るたこ焼き店や春おそし

今日は降られた。

それも霙模様だ。生駒から信貴山から、時雨がつぎつぎ涌いてくる。河川敷は雨宿りのしようがないのでいつもの喫茶店に飛び込むまでにすっかり濡れてしまった。駅ビルのたこ焼き屋さんのガラス窓もすっかり曇ってしまって、外からは中がよく見えない。外と内との温度差が相当あるんだろうなと思いながら通り過ぎたら、駅から出てきて傘の用意のない人が途方に暮れたような顔をしていた。