荒れる春

春塵や七十番の紙やすり

天気の振幅が大きすぎる。

今日の昼間などはドアを開けた途端むっとする陽気に体が包まれたかと思うと、夕方からは激しい雨。雨のあとは寒気が入ってくるという。東京などでは今日は大変な強風だったらしい。
おかげで長い冬のあとやっと咲いたと思ったのに、あっという間に梅が風に吹き飛ばされてしまった。今日などは西の方ではもう桜が開花したとかで、慌ただしいこと限りない。

ここ数日黄砂やPM2.5などを浴びたクルマのガラスなどは、単純な汚れではないのだろう、ワイパーで拭っても、ホースの水をかけたくらいでもざらざらした塵は頑固なくらいまったく落ちない。

桃始笑

這ひ出づる地虫のいまだ覚束ず

庭の土をほじくっていたら団子虫がいっぱい出てきた。

ただ、まだ寝ぼけ眼風ですぐに土に中に潜りこもうとする。よくみると図体のわりには殻もなんだか子供のようで色が浅く柔らかそうで、外で活動するにはいくぶんまだ早いような感じだ。啓蟄が過ぎたとはいえ今年はことのほか寒かったから準備できてなかったのかもしれん。
そういえば、虫は気温にしたがって活動開始するのだが、急に暖かくなったからといってすぐに活動が始まるのではなくて、気温とはいっても「気温の累積」であるらしい。ということは、今年は一ト月近くも寒の戻りの日が続いたので累積温度が活動開始するには至らず例年よりは遅いということになる。

今日の暖かさで庭の白梅が一気に散ってしまった。次は桜前線の行方が気になる季節であるが、今年の生き物カレンダーは一筋縄ではいかんかもしれん。

寝釈迦

葛城の寝釈迦なぞれり秋津島

阿波野青畝の句が好きだ。

青畝は高取町出身で代表作に「葛城の山懐に寝釈迦かな」があるが、この句碑が句会会場の裏手にあるというので取りも直さず拝見となった。この場所に立ってみると金剛、葛城の山が真向かいに見え、なるほど葛城の山容をなぞってみると釈迦の涅槃像のようにも見える。難聴で終生悩んだ青畝にとっては残った感覚の視覚、嗅覚などが作句のより所であったと思うが、まさしくここから見える光景こそ幼少時代から見慣れていた葛城の姿であり、青畝だから詠めた句ではないかと思えるのだった。

この日は、葛城も金剛もシルエットだけしか見えない。昼霞がすべてを覆って神武が国見をしたという春の秋津島が茫洋と広がっている。

今日は東日本大震災から二年、もうというかまだというか。

山人は海地震(なゐ)知らず三一一忌

当地の人に2年前のことを聞いてもあまり切迫感がないような反応が多い。この地が地震に襲われて他国に通じる僅かな道がすべて崩壊してしまったら、救援しようにも数日は入れない状況になるのが見えているのだけど。

大和の薬売り

草の名をまた習ひけり鳥曇

高取町は昔から薬の町である。

7世紀初め推古天皇がこのあたりで薬狩りを行ったというから、昔から薬草などが豊富な土地だったのだろう。その後も修験者によって「大和売薬」が各地に広がり、江戸時代には置薬として行商が始まったというほど隆盛を誇った。
今でも町には10社あまりの製薬会社があるし、昔ながらの店構えで漢方薬を扱う店があったりする。
何よりも、土佐街道にはゲンノショウコ、ドクダミなどいろいろな薬草の絵を焼いたタイルが10メートルおきくらいに敷設されているので、町に一歩足を踏み入れた途端ここは薬の町だということが知れるのだった。

折り目

雛衣の色褪せしける旧家かな

古代雛ともなると日焼けし色褪せもしてくる。

それでも、何代にもわたって受け継がれてきた家の歴史を誇るように、毎年毎年雛を飾るのである。武家であったろう家には雛の間に鎧兜も、刀や槍、長刀などもあろうし、商家には商いの品々もあろう。
何百年と続いた城下町に住む人たち自身も、あらためて我が町の歴史に思いをいたし我が町を愛しむのだ。

色褪せたりといえど、雛の衣は折目正しく緊張を保っているのである。

竹取物語

ものがたりここに発せり竹雛

竹を割って節の間から顔を出した雛もある。

あるいは簀玉(すだま)びなと言って、一本の竹を細かく割いて丸く編んだ雛を隠れ部屋への階段にひっそりと展示してくれる珍しい趣向の家もある。

諸説によると、高取はその昔翁が住んでいた場所で、「竹取」は「タカトリ」とも読み高取山が竹取説話の舞台であるという。真偽のほどはともかく、このような説をちゃっかり地元PRにも用いるしたたかさが町にはあり、町の人たちの意気込みも十分感じ取れるというものだ。

そう言えば通りには青竹踏みを売る店もあり、このあたりには竹林が多いのかもしれん。

七つの心得

肩越しにめでる雛や連子窓

土佐街道には「まちなみ作法七つの心得」と言って、古い町並みを維持するためのいわば景観維持協定のようなものがあるようだ。

その一つが道路に面した窓には連子格子などを用いることという決まりがあって、町の表情に一定のリズムを与えている。
雛巡りは玄関の土間から座敷を拝見するのが多いのだが、なかには道路側の連子窓から見せていただく趣向の家もある。グループでぶらぶら歩きしたりすると、いきおいみんなが同時に狭い窓の中をのぞき込むことになるので仲間の肩越しに見るということになる。
さらにこうした場合説明してくれる立会人もいないので、雛のいわれが書かれた小さな「謂書」を読もうとさらに首を前へ突き出しては窮屈な姿勢を強いられることになったりもしたり。

町家の古雛

このようにして、百近くもある町家の雛飾りをひとつひとつ巡っていると春の一日はたちまち過ぎてゆく。