緩む

半開きに日差し取り入る春障子

ソファの生活もいいが、この時期は和室で日向ぼこが気持ちいい。

障子を少し開け畳に寝そべりながら、庭の木たちの芽だしや時々やってくる鳥たちを眺めていると、体の芯から緩んでくるのが分かる。
そろそろ庭仕事も忙しくなってくるので、束の間の安息である。

弥生尽く

荒天に出足くじかれ三月尽

最近は週末となると寒さが戻ったり、天気が悪かったり。

土曜日だからちょっと遠出したかったが、朝目覚めたら既に雨。
昼頃にはひとしきり雨が強くなった。

結局今日は何もできないまま、三月も終わろうとしている。

ルーチンということ

コーヒーのブレンドあらた水温む

いつものルーチン通りにものごとを済ませておくというのは心の安定につながるものだ。

これが、ちょっとでも狂うと後々まで気がかりを引きずってしまう。
要するにリズムが生まれない。

朝支度も最初にコーヒー用の水を湧かすところから始まらないとあとの要領が悪すぎて落ち着かない。
また、持病の予防薬は朝の洗顔後と決めているのだが、うっかり先に飲んでしまったりすると午前中はリズムに乗れないような気がする。
実際には、ルーチンを自ら乱すこと自体が体調のバロメータだったりするわけだが。

節目

郷関を出づる決意や木の芽立つ

人生の節目に関わることの多い季節である。

今から数十年前のこと、それぞれが郷里を出て別れ別れになるとき友人と語り合った公園にはすでに芽が吹き始めている木があったこと、やたら寒かったことを覚えている。

橋渡し

動揺を見透かされたり土佐水木

低木のわりには目立つ花である。

まわりがまだ殺風景な、桜の少し前くらいに咲くので、あの緑がかった黄色の花は目につきやすいからだろう。
燕の初飛行を目撃した県立馬見丘陵公園で、この間までの梅に替わって主役を務めている。桜までのつなぎ役と言っては土佐水木に失礼かもしれないが、そういうタイミングで咲く花と覚えておけばよい。
うっかり写真を撮ってくるのを忘れたので絵では紹介できないが、房のようにぶらさがった姿はユニークである。

旬のもの

春筍の土佐煮食す夜また余震

久しぶりに地震警報があったが、あれを聞くと反射的に身構える習慣がついたようである。

1年たっても相当規模の余震が依然として続いている。
このまま日本列島が地震活発化し、近いうち本当に大地震がやってくるのだろうか。
十分な備えはもちろん大事だが、来たら来たでその時勝負。
せめて旬のものくらいゆっくり味わいたいと思う。

ポタリング

処処啼鳥土手の青める飛鳥川

見出しのたんぽぽは飛鳥川の堤防に咲いていたもの。

自転車を走らせていると、耳には鶯の声や雲雀の囀りが聞こえたり、目には緑に蒲公英の黄色が映えたりするなど単調な運動に適度な刺激を与えてくれる。
そんなときはすぐに止まって耳を澄ませたり、しゃがみ込んでカメラを向けたり、競技志向からはほど遠いマイペースでのポタリング。気が向けばもっと遠くに行くし、気が向かなければ帰るだけである。