立春の親しと思ふ光かな
一日早く春が来た。
120年ぶりだという。
立春と言えば2月4日と刷り込まれているが、今年は2月3日が立春に当たるというのだ。
一日儲けたはずであるが、さっそく寒の戻りかと思う風の冷たさである。
すぐにまた暖かい日が来ると言うし、春の足音を楽しもうと思う。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
立春の親しと思ふ光かな
一日早く春が来た。
120年ぶりだという。
立春と言えば2月4日と刷り込まれているが、今年は2月3日が立春に当たるというのだ。
一日儲けたはずであるが、さっそく寒の戻りかと思う風の冷たさである。
すぐにまた暖かい日が来ると言うし、春の足音を楽しもうと思う。
エアポート浮かべる海の雲は秋
空を見ているとやたら誰彼のと思い出す形をしている。
ふだんは感じないことでも、ふとしたときに見上げる空の雲が妙に親しい。
ほんの少しの間、そんなことを考えながら空の雲を見るのは久しぶりだ。
校歌にある伊勢の海の向こうに空港がある。これを泳いで往復したというのだから、そのかみの先輩は逞しい。
挿木して有耶無耶の齢かな
挿し木してみようと思いたった。
かつてやったこともある紫陽花の挿し木である。
挿木は春の季語だが、紫陽花にとっては成長期の今がいいタイミングとなる。
ただ、挿し木には条件があって、負担をかけないため最初は直射日光はだめで半日陰あるいは日陰においておく。二週間もして枯れずにいれば根付いて証拠でまずは成功である。徐々に日を当てて成長を促す。
とくに紫陽花は水揚げが激しいので、これらのことを守らないと失敗する確率が上がる。
一番いいのは雨の日が続くことであるが、そうでなくてもこの日陰で水をたっぷりというのを忘れなければまずは失敗はない。
二三年すれば紫陽花の庭ができあがるのであるが。さてどうなるやら。
「有耶無耶」は「ありやなしや」と読む。またもや「うやむや」とも。
先が分からないというのに笑われそうである。
白詰草編むとはなしに束に摘む
意外にいい香りがする。
やや草っぽいものの、上品な香りである。
これを髪飾り、首飾りに編めば香りが凝縮されてもっと薫り高いものになるにちがいない。
土にいいからとわざわざ庭に撒いたのが、毎年刈っても刈っても増えてくる。
本来は鋤込んで緑肥とするものだけど、そこまでの力作業は怠ってしまう。
だから、今年も元気よく伸びて、白い冠のような花をいっぱいつけている。
もちろん、摘んで編もうなどとは夢には思わない。
靴下を脱いだ足裏に夏近し
浴室の蛇口交換をした。
もう何ヶ月か前からパッキンがゆるんだとみえて、カランからの漏れが止まらない。
カランのちょっとした当たりで微妙に止まることもあるのだが、今度はシャワーのヘッドからも水漏れするようになって、水道事業にたずさわる娘夫婦に相談した。
ご多分にもれず各部品も中国製ばかりで、このコロナ騒ぎで今はまったく入ってこないという話だったが、幸い倉庫に同型の部品が余っていたのをおくってもらうことができた。
まずは靴下を脱いで浴室に入ったが30度近くに気温が上がった今日は跣足が気持ちいい。
ちゃんと水を止めないと大噴出しかねないので慎重にスパナを使ったが、素人なりに何とかユニット交換できておかげで今夜は枕を高くして寝られそうである。
憲法記念日六法す全部言へるかな
ろくに条項を読みもしないで改憲語るリーダーの軽さ。
今やることは改憲ではなく、目の前の国民の命を守ること。
無能に万能の武器を持たせてはならない。
ところで、六法全書なるもの。
引っ越しするまではたしかに書架に眠っていた。
六法の筆頭は憲法だけど、その後に何が続くんだっけ?
刑法、民法、商法、、、、えーっと。指が余る。
惜春の没の句稿を捨てにけり
とにかく外へは最小限の用事でしか出かけないので、ひたすら身辺の些末を詠むしかない毎日である。
今日の句であるが、私にとって句帖というのは主に吟行のときに用いるだけなのでここ数ヶ月ページがなかなか進まない。
思いついた句をメモするのはもっぱらスマホのメモアプリで、出句の何倍とある膨大な捨て句が記録されているのだ。
過去の結社投句もすべてスマホにデータ化されていて、たまにはメモデータを整理しないと後から読み返したり検索したりするには邪魔ものでしかない。
なかには、俳句の形をなしていないが種になりうるものがあるのでなかなか踏ん切りがつかないのであるが、ここでもモノ同様もしやもしやで増えるしかないものをバサッと捨てることにした。
こうして整理して気がついたことがある。5月号で採用された句を6月号にも重複投句していたのだ。編集長に言ってもし採られていれば下げてもらうしかない。