青鞜

若草山見ゆる広野に遊びけり

平城京の朱雀門周りがすっきりした。

遣唐使船がまたお目見えして、観光客用施設も整ったので、ここをベースにあの広い宮城址を散策するのも悪くない。
すでに空は雲雀のにぎやかさ。足もとには草がどんどん萌えて、顔を東に転じるといまだ末黒の若草山がはっきり見ることができる。
すみずみまで歩けば一万歩くらいはいけそうである。
いつもの馬見丘陵公園とはちがって、ここには特別史跡でボール遊びする不謹慎なグループはさすがにいない。ほとんどが観光客であるし。ひたすら歩くのである。そういう意味では野遊びというより青鞜というべきかもしれない。

水鏡

雨濁る水面に空と山茱萸黄

睡蓮が枯れて池に顔出すものはひとつとてない。

雨後だろうか、池の水が薄濁りして底も見えず、水面に映るのは空と池に張り出した山茱萸の花だけである。
山茱萸が咲き出してすでに三週間ほどになるが、いまでは全体の枝にまで広がって、遠くから見ると枯れ木全体が黄色に煙っているように見える。
その黄色だけが池に映えて、これもまたぼおっと煙っている。

春疾風

名園の鹿寄せつけず花馬酔木

馬酔木があるから鹿が入ってこないのではなく、単に垣根でブロックしているだけである。

あいかわらずぎりぎりのタイミングで青色申告・確定申告の提出となるのはおいといて、郵送でもいいところをせっかくだからと提出を兼ねて奈良の一人吟行をしようと思った。65歳以上は無料という吉城園が目的だ。
ここは明治か大正の頃、何の商売だか、とにかく大儲けして羽振りのよかった商人が作った庭園である。ここも間もなく民間に払い下げて高級な旅館になるらしいから、今のうちにじっくり見ておこうという狙いだ。
ここはいつ来ても何かの花が咲いているし、広い庭園はまわりの騒がしさから隔絶されて、聞こえるものは風の音、鳥の声くらいである。
今日はいたるところに白や赤などの馬酔木が咲き、茶花の庭では木瓜がかれんな花をびっしりつけ、枝先には緑の芽ぐみも見られた。ドイツからのハネムーンと思われるカップルには、奈良の馬酔木についていろいろ話を聞かせることができて束の間楽しかった。

それにしても、室内では暖かかったので迂闊にも春の装いで出かけたのがいけなかった。冷たい北風が吹き荒れるような天気で、予定をずいぶん繰り上げて早めの退散となった。

翌日配達

春北風や局へ速達参らする

今日も天気は不順。

久しぶりに速達便を出したが、びっくりするほど値段が上がってるんだね。クロネコなどに慣れてものは一日で着いてしまうような錯覚があるが、郵便はそうでもないようだ。へたすると3営業日というのは珍しくもない。翌日を保証するには速達しかないが、かつては郵便など翌日に届くものという意識があるので、釈然としない気分だ。

降りる場所

雲厚き空のどこかの初雲雀

思わず空を見上げた。

雲雀の声が聞こえたからだ。だが、雨もようの空なので雲が厚くて声の主を探し当てることができない。
初雲雀とはいえ、揚げ雲雀の堂々とした声だった。
今までよく降りていた空き地には真新しい建て売りに人が住んで、今年はいったいどこへ降りるのだろうか。

水際の競争

影立てば草魚寄りくる水温む
木道を草魚くぐりて水温む
真鯉には浅瀬打たせて水温む

鯉よりは長いが、鯉ほどはずんぐりしてない。

鯉かとまがう長さ三尺ほどの草魚が水際に群れている。
鴨たちにパン屑の餌をやるひとがいるものだから、草魚たちも集まってくるのだ。
鴨たちは草魚軍団にはたじたじのていで、取り巻くばかりでなかなかご馳走にありつけない。
おまけにオオバン、バンも集まってくるので、競争率はぐんと上がる。
その鴨たちも間もなく北へ帰る。今のうちに体力をつけておかなければ。

ささやき

靴音を聞いてものの芽ほぐれゆく

足もとも目の前も頭の上も芽だらけ。

ありとあらゆる芽が吹き出してきた。歩いていればいろんな芽のささやきが聞こえるようだ。
公園のチューリップだって10センチほど上に伸びた芽がいよいよ開き始めた。
定規にしたがって植えたので、芽の並びようも図ったように等間隔で列をなしていて見事なものだ。
これが来月からチューリップ祭りと称して何万本も咲き誇るのだ。
それまでは散歩する人たちがひっきりなしに通り過ぎて、毎日毎日成長するのを愉しむわけだ。