逃げ場

空っ風さまよふさきの吉野かな

北風の行く先は三山辺りか。

盆地は風の逃げ場がかぎられている。わずかでも山間の隙間があればそこへ向けて吹き込むのではなかろうか。当盆地でいえば、桜井から隠国のあたりであろうか。他には紀路であろうが、ここはまた茫漠としている。吹き余った空っ風は吉野の山中をさまようのであろうか。

ガソリン高

歳末やホームセンターいくそたび

必要なものを探していると日はすぐ暮れてくる。

めざした店では思った品がなくて、別の店に回ってみたりして。あげくほしかった商品がなくて今日の予定はまったく進まずじまい。リアルの店にないならば、帰ってからもネットで検索となにかとせわしい。
掃除やら片付けやらがあって、この時期はホームセンターのお世話になる。当地はどの店に行くにも何キロも場合によっては十キロ以上も車を走らせないとならないので、その往復だけでも時間がとられるのである。クルマはほとんどそういう場合にしか使わなくなったが、それでもガソリンは着実に減る。このガソリン高はなんとかならないものだろうか。

寒々と

大北風や何やら飛んで勝手口

勝手口に大きな音がした。

突風が吹いてゴミ箱を吹き飛ばしたようだ。
寒いこの風に今夜は荒れる予感。
近年12月は一回必ず寒波が襲うように思う。とくに今回の風には注意が必要で、雪も加わってどこかで大きな災害が起こらねばいいがと祈るばかりである。
大阪で痛ましいビル火災のニュースがあった。放火の疑いもあると聞けば、心にも寒々としてくる師走である。

箱買い

黄にそまるほど蜜柑食うたは昔

散歩から帰り蜜柑二個食う。

それからお茶など水分補給して一日の必要量の水分摂取は終わり。
ほんとはもっと飲まなければならないのだが、体が要求しないのである。
あとは風呂前に一杯飲んで、上がってまた一杯。これで確実に夜中に尿意をもよおして夜中に目が覚める。
水やお茶の代わりに蜜柑などをもっと食べればいいのだが、昔と違って多くは食べられない。買うのも一袋十個くらい入っているので家族二人には十分である。
かつては年末ともなると蜜柑は箱単位で買うもので、家族みなよく食べたものである。蜜柑好きが昂じてあきらかに顔や指が黄色になってみんなからからかわれたヤツがいたっけ。

従順

マスクより顎はみでてる笑ひかな

マスクに季節感がなくなって間もなく二年。

家にいる時間の方がはるかに長く、滅多に人混みに出かけないのでマスクの居場所は決まっている。カギと一緒のところと決めていて、外出するときにマスク、マスクと慌てることもない。クルマで出かけるときは車内においてあるものを使う。これはちと衛生上気になるが。
スーパーへの買い出しにつきあうときなど、ノーマスクのまま店内に入ろうとして慌てて取りに戻ったりするヘマはやるが。
他人のマスク姿をみるに、当地では鼻マスクの人はまれである。ふだん行き交うのは年寄りばかりだから意外にみなさん従順に守っているようである。
たまにはマスクからはみ出るような大笑いを見たいものである。

実感

大門松たて三輪さんの事始

「事始め」というと京の芸妓や舞子が師匠に新年の挨拶をするものだと勘違いしている向きがある。

これは、12月13日「正月の準備を始める日」という意味で京の芸妓にかぎらず、神社ならば門松を立てたりして正月の準備を始める日のこと。
大神神社では毎年クレーン車が来て第二鳥居の前に大門松を設えるのが当地でのニュースとなる。
暦的にはいよいよ歳末だが、コロナ禍もあってか年金生活者には今一歩実感がわかない。今日も今日とて畑へ顔を出しては菜虫をとったり、ネギを摘んできたり。
何も変わらない日々が安穏でいいと思う。

県境をまたぐ

二年ぶり親に相見ゆ年の暮

今年の年末年始は久しぶりの帰省ラッシュがみられるかもしれない。

オミクロン株の脅威がどの程度か専門家でも見通せない現状だが、少なくともこの先一か月は府県をまたぐ移動を慎めというような事態にはなるまい。
従来通りの予防対策、とくにマスクと換気につとめれば恐るることにはなるまいと思える。
子供たちも二年つづいて帰省してないが、久しぶりの再会となろうか。