疎林

とがりゆくものに鉄塔大冬木

櫟が通るたびに葉を落として日々裸になって行く・

同時に梢が空に向けくっきりと突き刺すように樹形がとがりゆく。
さらに顔を上げれば高圧線の鉄塔が高く聳えているのが見える。
その奥には信貴山の雄峰が控えていて、その頂上あたりも木立がすっかり葉を落として冬木立の疎林のように空が透けているのが分かる。
この櫟が裸木になるのも近い。
雪が降るかもというのでどこへも行かぬつもりだったが、今日はとうとう何も降らなかった。

消耗品

ゴム裂けて手袋沁みる水仕かな

毎朝の日課。

起きたらまず猫どもの餌やり、後片付け(みんなきれいに平らげる)。それが終わるとトイレの交換、掃除である。
冬は朝早くのトイレの水洗いはさすがにつらい。
最近目には見えない亀裂があるらしく、ゴム手袋に水が沁みるようになってさすがに新しいものを買ってもらった。
消耗品とはいえ案外簡単に使いものにならなくなるものだと思う。

クリニック通ひまた増え手帳買ふ

伝統俳句系からすると「手帳買ふ」は季題として認められるかどうかはともかく。

「日記買ふ」はれっきとした季題であるので、予定以外に備忘録、メモとしても使えるダイアリー手帳も大きな意味では含まれてよいだろう。
これまではマスの大きなカレンダーにメモしておくだけで十分足りたのだが、一つにはコロナ禍の影響で医者通いもすべて予約となったので、ちゃんとメモしておかなければいけなくなったこと。さらに二つ目には、リマインド役としておおいに助かっていた家人がいよいよ入院するとなるとちゃんと自己管理する必要があること。
ビジネス手帳ほどのものも要らないのでいわゆる百均のダイヤリー型手帳で十分である。一日分の枠は一件しか書き込めないような小さなものだが今の私には十分である。スペースが足りなければ隣の枠にはみだしてもよい。余生のやるべきことと言ったらそんな程度だ。

老々看護

数へ日や手術の前のあれやこれ

年明け早々家人の手術が決まった。

そのための検査や事前説明やらあれこれの予定が押し詰まった年内の予定に加わった。
以前にも同様の手術を経験しているのでやる内容はほぼ同じだが、今度は利き手の側の腕になるだけの違いである。ただしこのたびは事前のPCR検査も必要になって正月早々もあわただしいことになりそうである。
さらに、利き腕だけに当分家事はむずかしいことになるので主夫が代役を務めることになる。半年程度は家人の指示通り腕を動かすことになりそうである。
年明け早々老々介護ならぬ老々看護の日々が始まる。

乗りきる

新湯にして仕舞湯となる冬至風呂

今年はいただいた柚子がまだ十分残っている。

今夜は一個二個だとけち臭いことは言わず何個も並べてみよう。
今朝のニュースを聞いていて不思議に思ったのは、関東とくらべて日の出の時間差が一分程度しか違わないのに、日の入りでは十分も差が開くらしい。どう言う理屈でこうなるのかさっぱり見当がつかない。
ともあれ、明日よりは春への第一歩。そのように考えて冬をのりきりたいものである。

震度1

ひとりとして寒いと言はぬひとのなし

暖かな冬に馴れていたせいか、年末の冷えが思ったよりきつい。

通常は床暖房だけで済ます朝も、この二、三日はエアコン暖房も動員して体に檄を飛ばしているありさまである。
街で人に会えば必ず最初の一言が「冷えますね」「寒いですね」である。
畑で体を動かしている分にはその寒さもやがて忘れて体もほぐれてくるが、家に帰って水分補給にと蜜柑を食えばふたたび体が冷えてくる。
猫どもは床暖房利用の炬燵にもぐったまま、夕食まではおとなしい。そんな日がつづいている。
ところで、今朝めずらしく奈良を震源とする小さな地震があった。震度1にしてはガタッとショックを体感したが、さては列島のあちこちにひずみがたまってきて、どこに大きな地震があるかも分からない、そんな時代に入ってきたことを自覚せざるを得ない朝だった。

電動自転車

自転車に荷を振り分けて年の暮

学校帰りの子らが自転車を灯して坂を登ってゆく。

夕方ともなれば主婦もまた買い物帰りの荷を積んで電動バイクを奔らせる。前も後ろもそのバスケットに荷物が多いのは年末だからだろうか。