もつれた糸

まんさくの門に日の丸凪ぐ日和

細かな字など読んで疲れた目にはすぐに気がつかないほど細かい花である。

マンサクの糸がほぐれて、おそらく今が盛りなんだろうと思うが、疲れ目にはそれがただの固まりに見えてしまう。そのうえ、花と言っても縮れたような糸のようなものだから、花の盛りどきの見極めがつきにくいのである。
だから、次の句などはマンサクとはこういうものだと思わせるものがある。

まんさくの咲き初めとも終りとも 右城暮石

小原の里

万葉館令和の梅の盛りなる

今日も技術的問題は解決できず、長期化する見込み。
県道から飛鳥の万葉文化館への誘導路は両サイドがそれは見事な野梅が迎えてくれる。
ここは今は「小原」と呼ばれるが、天武が藤原夫人に向けて詠んだ

わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後 万葉集巻2-103

のあの大原の里のことである。

閲覧不能

けふも来て成就ならざる猫の恋

この日から3日間本サイトが技術的に閲覧不能に陥っておりました。

暫定的にFBページに仮投稿しておいたものをあらためてここへ転記いたします。

九回忌

料峭や燭に火もらふお線香

風が強い一日だった。

明日がほだかちゃんの九回目の命日だけど、もしかしたら雪かもしれないという予報に一日早いお墓参りへ。
風を避けて線香に火を灯すのが大変な日で、そう言えばなくなった日も風花がしきりに飛んで寒い一日だったことを思い出した。
父の命日も二月中旬で、この頃と言うのはまだまだ肌を刺すような寒さが残っている時分だったのだなと思う。

神奈川県でまたコロナウィルアス肺炎患者のニュースがあり、娘の勤務先が小さな子供さんたちをあずかる施設だけに影響ないことを祈るばかりである。

命溢れる

チューリップ並んで角を出しにけり

一列に並んで球根の角が顔を出した。

暮れに植えたチューリップ畑がつんつんとした芽を吹いている。
なかには球根の皮をつけたまま出てきたものもある。
見渡せば芽という芽が吹き出してきて、野には命が溢れているのを実感する。
プランターのニンニクも寒い冬を乗り越えて動き出したようで、葉が生き生きとみえる。明日雨が止んだら肥料をやらねば。

初音

飛鳥路の棚田転じて花菜畑

石舞台の菜の花

初音を聞いた。

ひょんなことから奥飛鳥を散策することとなって稲淵集落まで来たときのこと。
雨後の水量豊富な飛鳥川の瀬音にまじってたしかに鶯の鳴き声だ。すぐに音は消えたが、しばらくするとさらに上流の野梅が満開の林から聞こえてくる。巡回しているようだ。初音とはいえなかなか熟練の声だ。
マンサクも咲き始めているし、菜の花の黄色が春浅い奥飛鳥に黄色を灯す。

二上の棚霞

目を遠くに転じれば葛城も二上山も棚霞して幻想的な光景に息をのむ。

朝からの霧がなかなかはれず、まるで雨に煙るような一日だったが風もなく、観光客の少ない静かな小さな旅であった。

前倒し

バレンタインの日とし年金給はりし

夫婦ふたりだけの生活となってチョコとは無縁の日々。

サラリーマン時代は迷惑でしかなかったあのチョコレートも今となっては懐かしい。
今でもときどきアーモンドにまぶしたチョコを食うが、義理でもらったチョコは自分で食ったことはなくすべて全部家に持ち帰ったものだ。
今日は14日であるけれど、支給日が土曜日だというので前倒しの年金支給日となったようだ。
こちらは義理チョコと違って大事にいただくのは当然である。