震度4地域

父の日の祝ひも兼ねて地震見舞ひ

いきなりのガタガタには驚いた。

ありがたいことに、いろんな方面から見舞いの電話が。
昨日は、子供たちから父の日だからといって特別何もあったわけじゃない。
まして、すでに父の日のプレゼントはもらっているので、慣れたもんである。
そんなこんなで昨日は音無しだったが、今朝は地震の報を聞いて安否を尋ねる電話をくれた。
東日本地震以来いざというときのために、twitterで安否を知らせあうことにしているが、今回はそれほどのこともないと判断したのだが。

近畿中部と日向灘沖地震は南海トラフの前兆ともいうので、念のため飲み水を買いに走った。
風呂の湯も当面は即日に落とさずに、万一に備えようと思う。

腰の強いほうが好き

三脚のレンズの先の行行子

名の通りである。

ぎゃあぎゃあと賑やかだ。
どこかと探す手間も要らない。カメラマンの長玉レンズの先を見るだけである。
枯れ葦の先端を器用に両足でつかんで大きな口を開けて鳴いている。
毎年、葦原の半分だけ刈っては残りを野鳥のために残している。若い葦もすっかり伸びたのだけれど、やはり腰の強い枯れ葦のほうを好むようである。

草の行方

草刈るや厩転じて機部屋に

古民家巡りをしてみた。

もちろん、もう今では誰も住まない文化財となっているのだが、どれも地域独特の工夫がこらされた建物で、間取り、壁、屋根、どれをとっても昔の暮らしを彷彿とさせる。
江戸から明治へと文明開化の波が地方にも押し寄せてくるとともに、暮らしぶりにも変化があらわれ、さまざまな改造も行われたようである。
農事の大事な伴侶を家の中に飼うという、まるで遠野物語に出てくるような暮らしぶりも垣間見たが、これとて明治になってからは機織りの部屋と化していた。
農業中心から、絹などを織る副業も盛んに行われたのであろう。

畦の草刈も、今ではエンジンをうならせて粉々に刈りとってしまう。かつて牛馬に与えていた草、今はいったいどこへ消えるのであろうか。

菌糸集合!

梅雨茸ボール蹴るごと少年蹴る
少年のボール蹴る真似梅雨茸

草原のかしこに茸が顔を出している。

周りを見ると、あちこちに干からびた茸が散らばっている。
食べられそうもないように見える茸は、誰かが遊び半分蹴散らしたとみえる。
気をつけて歩くと公園のあちこちで茸が湧いている。
菌糸、黴菌大活躍の季節である。

とりこ

蜘蛛の囲の一輪封じゐたりけり

小山梔子の生け垣が見事である。

よく刈り込まれているが、よく見るとところどころ蜘蛛の巣が何重にも張られている。
なかに、虫ならぬ山梔子の花が一輪取り込まれているのもあった。
取り込まれてはいるが、あの香りには間違いがなかった。

染め分け

青鷺のにはか駆けだす濁田かな

剣豪武蔵の絵に似ている。

モズが枝にとまっている静寂のたたずまい。
絵のようにじっと動かぬまま佇んでいるときもあれば、餌を漁る忍び足、そして時折見せる駆け足。貪欲な食欲、なかなか旺盛である。ときには見に余るサイズを持て余して放置することもあるが。
この鳥の最も優雅なのは、やはり飛翔である。灰色、紺色に染め分けられた大きな翼が頭上を飛んでゆく姿を見送るのは感動的でさえある。

ほどよい距離

蒲の穂や遊水池の人寄せず

鴨やバンが育つ小さな池。

彼らは葦や蒲が茂る人工島に巣をかけているようだ。
金網で高く囲われているので、遠くから眺めるだけだが、生き物との関係としてはこれくらいの距離がほどよいのだろう。