憎めない川

燃えぬもの磧にからむ出水跡

水は引いたが相変わらず、ポリ袋などが磧の柳に無様に翻っている。

水質でワーストテン常連だが、水が出るたびに盆地のゴミを運びくる川は、見た目にもワーストテンには間違いなくはいるであろう。
そうは言っても地元の川であり、憎めない川ではあるのだが。

体たらく

炎天の瓦礫の山に立ち向かふ
汗つたふ戦闘服とヘルメット

明け十日。

炎帝の支配のもと、水まだ引かぬ町、道路、壞れたままの家。
この荒梅雨がもたらした炎熱地獄に、行方不明者の捜索、泥かき、後片付けに追われる被災地。

被災地の地獄を思えど、昼過ぎに早くも音をあげてエアコンにすがる体たらく。明日はわが身かもしれぬのに。

義援金は被災者に、救援金は復興に使われるという。せめて貧者の一灯を。

地球たえだえ

瀬戸内の濁りしままに梅雨明くる

今年の梅雨は忘れられないものになった。

想像もつかない地獄だ。
大洪水に次いで、この炎暑。
地球の息づかいが荒れて、明日はわが身かもしれない時代。
老幼、弱者はじめ被災者に、一日も早く安らぐ日が訪れますよう。

見てきたような嘘をつき

月見草蛹どこぞで皮脱ぐか

見たことがあるかと問われても答えられない。

見たことがあるかもわからないし、やっぱり見たことがないかもしれない。
今では珍しい花となっているようだし、だいいち夕から夜にかけて開くというごく地味な花だから、見逃していてもおかしくはないだろう。草花に気を向けるようになったのは、俳句をやり始めてからであり、それでさえ日が浅いのだ。
私にとって、月見草ときいて反応できるのは、大宰、野村元監督くらいである。ふたつとも、大きなもの、立派なもの、派手やかなものにたいするささやかな存在として描かれているが、実はそれぞれ再起を期す決意、おのれの矜持を秘めているように思える。
月見草は、同じく夜に開く待宵草と混用されているが、生命力にあふれる待宵草に対して、本家の月見草は栽培も大変難しいようで、苗を求めようにもまずは見つからない。
したがって、習作は取り合わせという形式に頼らざるを得ないが、どんなものだろうか。

懐かしのワンカップ

たしなまぬ筈がどうした冷し酒
営業の作り笑ひの冷し酒
祝宴に知己みあたらず冷し酒
冷酒を手に同輩探す鵜の目かな
冷酒の氷鳴らして干しにけり

兼題句である。

もともとの意は「ひや」、「ひやざけ」である。
日本酒本来は燗で飲むものとされたが、昨今は「れいしゅ」と呼んで氷や冷藏庫で冷やして飲むことも多い。冷蔵して飲むために開発された酒もあるので人気のようだ
「ひや」とは元来燗をしないで飲むものをいい、かつては悪酔いしやすいと言われたものだが、それを気にしない手合いのものがやるものであった。そんなひとのために開発されたワンカップなるものが一時はやり、通勤線で席に着くやふたをあける光景など、かつてはよく見られた光景である。

酒はいけるくちではないが、辛口の「れいしゅ」は好きだ。口当たりが良くてほどほどに自制しなくてはならないが、土地の旨いものと併せて飲めば時間はすぐに更けゆく。

予測不可能

警報のスマホうごめく梅雨の闇

当地のピークは過ぎたようである。

一昨日の夜から昨夜にかけて、携帯が何度も鳴る。
大雨、洪水による避難情報の受信である。
深夜警報音に目が覚めて、携帯を手に取るが、いきなり明るい画面を見ても寝ぼけ眼には文字がかすんでとても読み取ることができない。ここでも視力が落ちたもんだと実感するが、もっと差し迫った状況ならば火事場のなんとやらで読むことができるのだろうか。そう考えるとちょっと不安にもなってくる。
どこにどんな災害が起きるか予想もつかない時代、非常持ち出しの点検でもしておいたほうがよさそうである。

有線放送

鮎の苔また攫はるる梅雨出水

大和川がまたあふれそうである。

こんな日に出歩きたくないが、医院への送迎で川に沿った国道を走らざるをえないのである。
いつもは低くゆったりと流れている川が、恐ろしいほどの高さに泥流がさかまいている。
国道沿いの店などは、入り口に土嚢を用意しているのなどは、いくども洪水に泣かされてきた知恵でもあろうか。
昨夜は街の有線で避難勧告の放送が何度か流れ、そのたびに目が覚めた。
ここは、川からは遠く水害の恐れは全くないのであるが、川に近く住む人たちの不安は想像にあまりある。

先日、苔の順調な生育を願う鮎師のことを書いたが、吉野川もまたいつもの清流が濁流に変わり果てているのだろう。