夏一色

百合の木の王冠めける花立つる
朴の花透けてうごめくものの影

初めて見た。

朴よりは幾分小さいが立派な葉を茂らせており、その葉陰を縫うように花をつけている。
朴の花と同じく、見上げなければならないが、ポットのような花弁に黄金色の横縞一本巡らせてなかなか気品がある花だ。
桐、朴の木も終末というかんじで春はとっくに過ぎ去った感を強くした。
まほろば句会は30度近い馬見丘陵で、若葉風にいやされる夏一色という風情。

手に負えない

若葉して萩の寺とはなりにけり

萩若葉は若葉のうちは真っ直ぐに上へ向かって伸びる。

そして、伸びきってからようやくうなだれ、乱れ萩となるのである。
かつて庭に植えてはみたものの、とんでもなく広がりだすので手に負えず結局伐採してしまった。
やはり、境内の広く、十分なスペースのあるところにこそ相応しいのだと悟った。

虫の事情

天道虫つるみて梅の葉裏かな

七つ星、そして二つ星も、今日も梅に天道虫が忙しそうだ。

ということは、アブラムシがまだいるってこと?
よくよく見ると、伸びたばかりの柔らかそうな枝にいるいる。
昨日枝を梳いたので発生する要因がないはずなんだが。
天道虫君たちがせっせと退治してくれてるようだが、間に合わないのかな。
そうかと思えば、美味しそうな餌には目もくれず、つるんでいるものもいる。
虫たちにもいろいろ都合があるのだ。

ここのところ夏の季語が続いている。

アブラムシ発生

前釦はずし薄暑の細うなじ
貝釦缺けたるままの薄暑かな

日中は避けて午後三時から農作業の真似。

やりだしたら、買ってきた苗を植え付けるまで止まらなくなった。
雑草を鍬でやっつけ、堆肥やビニール保護シートなど鳴門金時、胡瓜の床を整えてやっと植え付けだ。
急な暑さで蒸れたせいか、梅にアブラムシが大量発生しているのも発見。テントウムシ君もいっぱい取りついているが、彼らとてさばききれない量だ。枝をすっきり整えて、殺虫剤をふりかけてポリ袋へ。
そんなこんなで、汗びっしょり。
やれやれ。

牡丹の季節

こもりくの峨々たる渓の懸藤

隠国の道を通るたび感動がある。

両方の山がせまってくる隠国の道は、いま藤の山に囲まれている。
あらためて眺め回すと、下から上へこんなにも多かったのかと思うほど、元気な藤が大木に絡んでいるようである。
長谷寺の牡丹はいまが最盛期というニュースが流れた。
牡丹もさることながら、薄紫色が点々と浮かび上がるようなまわりの山の風情もまた佳きかなである。

陰作る

両堤に枝さし渡し花は葉に

両岸の枝がふれあうばかりに生長した。

植樹してかれこれ35年もたつ染井吉野は人間で言えば壮年である。
花万朶となって川全体を包み込んでいた桜が、はや葉桜の季節を迎えて良い陰を作り始めている。
夏の貴重な散歩道である。

当地は、佐保川、高田川まで行かなければ、このような包み込まれるような散歩道がないのが残念である。
そのかわりに、天下の吉野があるのであるが。
今年後半のまほろば吟行の候補地選定の役目を仰せつかったが、吉野も候補地のひとつである。観光地客で賑わうあの金峯山寺ではなく、水の宮滝を猛暑の頃に行こうと思う。

蛮勇

前日に現地入りせる日永かな

もうそんな時期ではなかろう。

「日短か」という季語で読んでも決しておかしくないのである。
この「日永」というのは、やはり三春のうちでも初春、仲春の端境ころが一番雰囲気が合いそうである。
それより前だと、「日脚伸ぶ」の感じがまだ残っており、後であれば「日短」「短夜」を使いたくなる。

出張先で、相手が訃報とか、急に本社に呼ばれたとかの急用ですっぽり時間があくことがある。
その日のうちに帰れるとか、そうでなくても勝手知る場所なら途方に暮れることはないのであるが、初めての土地にぽんと放り込まれたりしたら。
この際ついでだからと観光を決め込む蛮勇もいいが、いずれにしても昏れるまでの時間はとてつもなく永く感じるものだ。
掲句は逆に、ちゃっかり前日までに現地入りして午後を楽しもうというのだが。
さて、現代ではこんなことしていたら、上司や部下に睨まれるに違いないか。