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国ン中の忘れた頃の秋出水

雨の少ない奈良盆地。

ところが、その滅多に降らない雨がときに大雨になると、たちまち各所で冠水の報が聞かれ、電車も止まる。
古くは海、そして湿地であった土地だから、唯一の雨のはけ口大和川に流れ込む多くの川は小さく底も浅い。
だから、総雨量100ミリ程度でも短時間であればすぐにあふれてしまうのだ。
今朝は雷と猛烈な雨の音で目覚めたが、1時間程度でおさまった。この雨雲が盆地中央部から桜井の初瀬街道沿いに東進したようだ。
最近は雨雲レーダーで雨雲の行方を教えてくれる便利なアプリがあって、状況がすぐにチェックできるのがありがたい。お勧めアプリである。yahoo防災あるいはNHK防災とあるが、yahooの方が操作メニューが浅い分使い安いようである。

うねる絨毯

蕎麦の花山畠うねりゐたりけり
山畑のうねりの谷の蕎麦の花

山を切り開いて作った畑。

見渡して、ずっと1キロ先まで畑が続く。
開墾したと言っても、自然の地形を利用した畑だから高低差があるのは当然だ。
その高低差をたくみに開けば、おのずと波状型のうねりをもった土地になる。
蕎麦の花咲く丘ひとつ越えてその上に立てば、うねりの底もまた畑で、そこも一面白い花の蕎麦畑であった。

蕎麦の茎は赤い。その赤に紛れるように犬蓼が赤い実を付け、赤蜻蛉が群れて飛ぶ。
うねりの底から丘を見上げれば、赤い絨毯に白い花が浮いているようで、それがそのまま丘の上へと空につながっているように見えた。

温故知新

富める家の庭人知れず灸花
へくそかづら卑しからざる飛鳥かな
飛鳥いま電柱地下に灸花

夏の季語はまだごろごろと見られた。

この灸花(へくそかづら)もそのひとつ。
りっぱな構えの家だと思ったが、フェンスにはほつほつと灸花が咲いている。
触りさえしなければ、可憐な花だが、名前があまりにも悲しい。
ただ、飛鳥に来るといつも思うのだが、見えるもの、触れるものすべてがどこか懐かしく、逆にこの花などは名前とは裏腹に愛おしいばかりに可憐に思われてくる。
飛鳥は古い都址だが、行くたびに新しい発見がある。

吸引力

秋の蚊の出会い頭のダイソン禍

掃除をかけていたら、蚊がすっと現れた途端に消えてしまった。

ここ数日家に迷い込んだやつがたまたま低いところを生きていて、流行のトルネードとかいう掃除機のパワーに巻き込まれてしまったようだ。
夏の元気な蚊ならばそんな低空をうろつくこともなし、秋の蚊とはかくももろい。
生前に私の足首を吸わせてやったのが供養となろうか。

異形

猫の尾の立ててご機嫌葛の花
穂元より紅さしそめし葛の花
陵の衛士小屋閉され葛の花
陵のすその一叢葛の花
陵のこれより結界葛の花
花葛の杖もて指さる在り処
新道のできて此の方葛の花
分水口のハンドル錆びて葛の花
国道は名ばかりにして葛の花
村道は林道にして葛の花
合併にて市道と呼ばれ葛の花
出店の噂絶えもし葛の花

夏の蔓が伸びきって、花の季節となった。

まがまがしい蔓の繁茂もあり、花も大振りの異形ともいえるのであまり好きではないが、なぜか古来から詠まれてきた葛である。
もっとも、万葉には30首近く詠まれているが、花が詠まれた例は一首しかなく、あの山上憶良の、

萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌の花 巻8-1538

だけである。秋の七草に数えられるだけあって一定の位置は占めているようでもあるが。この歌以外は、「葛這ふ」「葛葉」「真葛」など葛の生い茂るさまを詠んだものばかり。
では、いつから花に注目されたかを調べると、平安期からであるらしい。ただ、「尾花くず花」のように尾花とセットに詠まれている例が多い。

とまれ、葛粉を採取するのも稀となった現代では、荒涼とした原や田畑、廃屋などのイメージが強く葛の花に可憐な風情を求めるのには少々無理がある。いわば足を踏み入れることができない異界、異境の異形の花というばかりである。

崖っぷち

かがむれば木つ葉動きて蓑虫に
蓑虫の縫いしばかりの木つ葉かな
蓑虫の木つ葉からげて雑な蓑
蓑虫の木つ葉の蓑を引きずれる
蓑虫の引きずる旅の一張羅
蓑虫のなにも持たざる旅ごころ
蓑虫の織つたる蓑の木っ葉かな
桜葉の蓑を蓑虫まとひたる
陽石に蓑虫着くも飛鳥かな
陽石に蓑虫蓑をつけしまま
蓑虫に亀の歩みのありにけり
陽石にすがる蓑虫つまみけり
陽石の先に蓑虫戸惑へる

祝戸のマラ石に寄った。

名前の通り男根をかたどった石で、これも飛鳥の奇石遺跡のひとつ。
古老に聞けば、飛鳥川をはさんだ対岸の山が「ふんぐり」しているから「ふぐり山」だと手振り交えて教えてくれた。聞けばなるほど、寝そべってだらんと延びたふぐりのように見えなくもない。
「あの山には昔から陰石もあるちゅうんで、子供の頃ずいぶん探し回ったが結局見つからなんだ」
「庭石か何かにでも誰か持ち去ったに違いないということやった」
陽石はその昔直立していたらしいが、今では45度くらいに傾いている。
なるほどそのままだと感心していたら、先ほどまで葉っぱが落ちているとばかり思っていたのがかすかに動いているではないか。
顔を近づけてみると蓑虫だった。葉っぱを巻き付けた蓑というのはなかなか洒落ているが、そこから頭だけ出して、のろのろと先端に向かって登っているようである。どうやら糸に頼らず地上を散歩中のようである。

ちょっと抓んでみたら、すっと首をすくめてしまってなかなか顔を出してこない。団子虫より相当用心深そうだ。
石の先端部分に置いてみたら、しばらくしてようやく顔を出したが、断崖の縁に戸惑ったように今度は全く動きを止めてしまった。
何だか悪いことをしたような気がしたが、訪れる人も少なく無事に帰すべきところに帰すだろうと、そのまま立ち去ることにした。

生気ある白

白無垢の芙蓉の底のうすみどり
白芙蓉の白にまされる白はなし
うつろへど生気帯ぶまま夕芙蓉
白きこと芙蓉の白に極まれる
酔芙蓉古刹の院の奥にかな
芙蓉花古刹の庭の半ば占め
多武峰真東なる芙蓉かな
跼まる芙蓉のよべのゑひしこと
ゆくりなく君に遇うたり白芙蓉
おのづから君らふたけて白芙蓉
健次忌の日輪さやに花芙蓉
風さやに寺門吹きぬけ白芙蓉
白芙蓉撫でて寺門の風さやに

類句にあるかもしれない。

さは然りながら、この吸い込まれるように純度100%の生気を帯びてなお純粋な白。また、それに顔を近づけて、底に薄緑色を見つけたときの感動は、何としても表現しないではおけない衝動に駆られるのである。

この時期に飛鳥を訪ねるのであれば、橘寺の芙蓉は絶対見逃せない。白芙蓉、紅芙蓉、酔芙蓉。どれもが手入れゆきとどき気持ちよく拝見することができる。何度来ても、拝観料350円惜しんではもったいない。

ご批判承知で詠んでみた。

補)写真は、iPhoneのホワイトバランスが崩れていて、緑がかっている。やっぱり、ちゃんとしたカメラで撮ってあげないと失礼だな。

補)やはり類句であった。

白芙蓉の白きより白きは無し 虚子

完敗です。