盆地の稔り

おとうとの手から兄への稲掛くる

一家総出の稲刈り。

爺ちゃんや父ちゃん、小父さんたちが刈ったのを、幼い兄弟が稲架掛けの手伝いをしている。
小さな田んぼなので、自給の分だけを耕作していることが分かる。聞けば、こちらは餅米、あちらは白米だと言う。
休日をフルに使っての稲刈り風景だった。

今日通りがかった平群の稲刈りはまだのようだった。
一列だけ稲架を見かけたが、田の縁が三条ほど刈りとられた跡があったので、冬越しの藁を取るためのものかもしれない。
どうやら、この週末頃が盆地の刈り入れになるみたいだ。

一喝

寝過ごせし朝を鋭声の鵙叱る

虫食いのように更地が残されている宅地。

そんな、なかば街と化しているところにも鵙が巡回してくる。各家のアンテナに止まり、電柱に止まり、律儀に自分のテリトリーを宣言しているようである。
これまでは漫然と聞いていたが、耳を澄ませて聞いてみると、鵙の高音は婚活期間であるという理由のほかに、秋独特の澄みきった空気とも響き合っていることがよく分かる。考えてみれば当たり前のことだが、建物やあたりに鋭い声が響き渡る朝はことさらその感が強いように思われる。
先日も、ちょっと寝過ごして新聞を取りに出たら、寝ぼけ頭を一喝するように頭上から鵙の声が降ってきた。

愛車が泣いている

輪行の車窓の外の秋の暮

今日のような天気のいい日はとくにそうだ。

風もない自転車日和となると、調子に乗ってつい予定より遠くまで行ってしまう。
帰りの時間を計算すると、とんでもない時間になりそうで、最悪ハンガーノック(エネルギー不足)のため戻ってこれない可能性が頭をかすめる。
もともとそんなこともあろうかと、寝袋ならぬ輪行袋というのがあって、これに両輪をはずしてたたんだものをしまいこみ、電車やバスを利用するという手もある。
これを「輪行」というのだが、一般にこのようなトラブルを想定しているわけではなくて、プランにあらかじめ組み込んであるのが普通である。
当地でいうと、大和高田経由和歌山へ向かうJR和歌山線などでは、輪行袋をかついだ人たちを散見する。おそらく、紀ノ川沿いを走ろうという人たちであろうと思われる。十分時間をかけて色づきはじめた両岸の景色を楽しみ、帰路もおそらく輪行を予定しているに違いない。

当地へきて道路事情などを言い訳にしばらく走ってない。愛車にもうっすら埃がかぶっている。
すっかり足腰の弱った体にむち打って、再び飛鳥へのサイクリングカムバックを果たそうと室内用エアロバイクをはじめて三日。これを三ヶ月も続ければまた道路へ出られると思うが、その頃はまた底冷えの盆地で尻込みしなければいいがと思う。

しゃきしゃき

間引菜のかろき辛みの鼻に抜け
間引菜のひげ根もろとも椀に浮く

プランターの大根が順調である。

すでに二回間引きして、いよいよ最後の間引きのタイミングを計っている。
一回目は発芽してまもない双葉のとき、二回目は本葉二、三枚の頃。
プランターの野菜培養土は目が細かいので、ひげ根ごときれいに引き抜けるが、順調に育っているとみえてそのひげ根にも土がびっしりとついている。できるだけ全部いただけるよう丁寧に洗い落とし、その夜の鍋ではほんのひとくぐりさせてしゃきしゃきのままをいただく。すでに大根の風格を帯びていて、香りはもちろん辛みも鼻に抜ける爽やかさ。
指南のウェブサイトによると、三回目の間引きは本葉五、六枚とあるのであと二、三日だと思うが、その時には根もしっかりと骨格をなしているはずだ。
もう一度、間引き菜のしゃきしゃきを楽しんだら、いよいよ大根の独り立ちだ。

散水機

スプリンクラー風にあらがふ花野かな

もちろん雨の今日ではない。

一週間ほど前のよく晴れた日の光景だ。
公園の大きな花壇に、これまた大きなスプリンクラーが回っているが、風上に向いたとき一段と吹き上がるように水しぶきがたっている。
いくつかのスプリンクラーの間を縫って、その水しぶきを避けるように、散策の人たちが日傘でもって花の丘を下ってくるのが見えた。

提寺

金堂の燭灯りたる良夜かな

今年はまれに見る月だった。

とくに宵のはじめは雲ひとつかからず、文字通り鏡のような輝きに魂が吸いとられるそうになった。
何度か外に出て仰いでみたが、夜遅くなってからちょっと雲がかかっても、それはそれでまた風情を楽しむことができた。
やはり、空気が澄んで、月がクリアになると、心まで澄んでくるように思え、まさに良夜である。

秋の藤棚

あをあをと藤の実太り藩校跡

藤の実というのはこんなに大きいとは初めて知った。

藤はかなりの古木とみえて、幹はもちろん、大の男の腕の太さもありそうな枝がいびつな形をしたまま幾重にも撓められて、棚の上はさながらジャングルのようになっている。その高さだけでも40センチオーバーになっていて、そのジャングルの中のわずかなスペースに長さ10センチ以上ありそうでふっくらと太った実がぶら下がっている。
実を飛ばすには、鞘が枯れてくるのを待たねばならないが、時期としては晩秋、あるいは初冬になるのであろうか。
今は十分に葉も濃い緑を残していて、少しくらいの雨なら雨宿りできそうである。