耳となって

枝つかむ音も羽音も小鳥来る

枝をわたる小鳥の声や羽音。

10数羽いそうな群れで林を移動中のところをしばらく眺める。
エナガ、シジュウカラ、メジロ、何種類かいるようである。
なかには、小さな啄木鳥・コゲラも混じっている。
餌を求めて枝から枝へ、木から木へと、どれも一カ所に留まることを知らない。
じっと耳をすませば小さな鳥でも羽音が聞こえるものだし、止まり木をつかむ音さえとどくのをひとりで楽しむ時間はいとしい。

後を引く

古記事を拾ひ読みして落花生

親指の腹で割る。

普通は簡単に割れるが、うまくいかないときは爪を入れたりしながらピーナッツを食う。
殻を古新聞に落としては手が伸びるのだが、こんなときは不思議に気になる記事が目につくものである。
古いことなどどうでもいいようなものの、ついつい読んでしまい、袋が空になるまで止まらないのも困りものだ。

意外にかさばる殻だが、これを焚き口にまとめて捨てていた時代もあった。火鉢、囲炉裏、竈などがまだある頃の話である。落花生の殻はよく乾いているので、焚きつけにはもってこいなのであった。

信州

県外のナンバー並び走り蕎麦
神職の種より育て走り蕎麦

新蕎麦の季節である。

江戸蕎麦も老舗が多くてどこもうまいが、味にバラエティがあるのはやはり信州ではないだろうか。
とくに店ごとの出汁が特徴があって、ひとつの街をうろつけば店の数だけ味があるのがよい。
知らない街では、自分であれこれ調べるよりも、まず地元の人をつかまえてお気に入りの店を聞くのが手っ取り早い。
ただ、マスコミの影響は大きく、ちょっとテレビで紹介でもされれば他府県からわっと押し寄せて、味が荒れたり、客あしらいがぞんざいになったりとか、あの味をもう一度と数年後行ってみるとがっかりすることがあるのが残念だ。

急報

急ぎとて一行の訃のしむ身かな

まさかの訃が届いた。

激動の時期のある意味同志であり、先輩が今朝亡くなられたとやはり同志から連絡が入った。
いきなりの話で、亡くなられたという事実だけが伝えられたのである。
続報を待たねば詳しいことは分からないが、あの立派な体格の持ち主にしてもやはり病にはということであろうか、そんなことをぼんやり考えている夜である。

縮こまる

うそ寒の膚を心をつつみなく

季節にしては寒い日が続く。

一番困るのが、夜具、寝衣である。
急に厚い蒲団にくるまるのもどうかと思うし、冬のパジャマを着るというのも気が早すぎるような。
で、朝方まんまるくうずくまっては目が覚めたりしてしまうのである。
そろそろ観念時とは思うが、また暑さがぶり返すという話もあり、もう少しもう少しと我慢する毎日である。

紅吾妻

白線を引いて明日待つ藷掘会

蔓が刈られる。

刈られて堆く積まれている。
畝には1メートルごとに石灰の白線が引かれる。
区切られた部分がひとり分の区画らしい。
5月あるいは6月に植えた薩摩芋の収穫時期だ。
わが家でもプランター栽培にチャレンジしてみたが、手を突っ込んでみても手応えがない。やはりうまくいかなかったようだ。

勲章

ぬたうって客近づけぬ牡鹿かな

東大寺南門のすぐ前に鹿の沼田場がある。

気づく人は少ないと思うが、三笠山からの細流(吉城川)が門前数十メートルのところに流れており、小さな橋がかけられているのがそれだ。その下をのぞくと、とくに護岸もしてない岸に所謂沼田場がある。
見ていると、定員は一匹ほどで、立派な角を生やした牡鹿がごろんごろんと「沼田うち」をしているのが終わるのをじっと待っている別の牡鹿がいる。あきらかに序列がついているようで、若い者が近づこうものならたちまち追っ払われている。
こうして、全身にたっぷり泥をしたたらせた牡鹿が悠然と参道に上がってくると、煎餅を給餌したり、自撮りを楽しんでいた観光客がいっせいに引いて牡鹿の通り道ができる。
沼田場を独占してつけた泥は鹿にとっての勲章でもあるのだ。