目利き

黒南風や量り売り女の腰伸ばし

ここ数日、湿った空気の重い天気が続いている。

プランターの野菜たちにもダメージが大きく、まもなく収穫できると期待していた小玉西瓜が割れてしまった。雨が続いた影響だが、同じく雨に弱いミニトマトのほうは今のところ順調のようである。
海のない県に住んでると、どんよりした梅雨空に湿った南風が吹き込むことはあっても、黒南風と結びつけて詠むのは厄介で、どうしても海や浦、浜の景色が思い浮かんでしまう。
黒南風が吹くときはたいていは海が荒れているので船を出せないことも多いが、内浦の定置網なら大漁とはいかなくても何とか漁になることもある。
贔屓にしてくれる常連客のために、僅かばかりの水揚げの中から永年の目利きよろしくみつくろって今日も出勤だ。
かつては、尾鷲や紀伊長島などで量り売り女の姿は見られたが、今はどうなったろうか。

神宮の森のなかに

水匂ふ神代の池の花擬宝珠

橿原神宮の広い神域に深田池という溜池がある。

古代、万葉の時代からある灌漑用の池だということだが、今は親水公園として整備されている。大きな池の東側には睡蓮がせめぎ合うように群生しており、大きな亀がさかんに葉を揺する。
いっぽう、池の南側は鷺の一大コロニーで、子育て中の青鷺、白鷺、五位鷺の幼鳥たちの声が遠くからでもかしましい。うっかり侵入してしまった川鵜が大きな鷺に追い払われるシーンも見られた。
さすがに、糞や羽毛が目立ち、独特の臭いがやや鼻につくようだった。

仙人のご加護なく

まろやかに畝傍そばだつ朝ぐもり

台風が来るとあって蒸し暑い。

今度の台風は小型で足が速いので、来るときは一気に来るというが、今朝の空にはまだそんな気配は感じられなくてうっすらと曇っている様子である。普通こういう日は、朝のうちの曇りが晴れたらかんかん照りの暑い日になることが多いのだが、ちょっとは違うようだ。近くで見る畝傍山は心なしか輪郭がおぼろで、いつもの端正な佇まいとは異なった表情を見せている。

今日は久米寺、橿原神宮方面の吟行で、夕方来るという台風が気になり一同落ち着かない。
今日の主目的の久米寺は、あいにくあじさい祭が終わったばかりで、園は閉ざされていて多くの句友が残念がる。
次の神宮の深田池でようやく、睡蓮や、鷺のハーレム、など多くの句材が見つかって何とか投句はできたが、必ずしも意の通りではなく心は天気同様晴れない。

つきあい

身の置き場なきパーティのメロン食ふ

よんどころない事情の義理で出なければならないパーティ。

来てみたが、住む世界が全く別の人たちばかりで身の置き場がない。名刺を置いて乾杯だけつき合って、メロンだけ抓んでそそくさと会場をあとにしたものだ。

仕事を離れるともうこんなことしないですむ。肩が凝らなくていい。

炎上の花

百日紅ごと売りに出て二百坪

立派な門構え。

頭上からは大きな百日紅が見下ろしている。
無住と思える屋敷だが、手入れだけはされているようで、みごとな枝ぶりである。
炎天の空に向かって炎上する花はもしかしたら見納めの年になるかもしれない。

二番煎じとは言わせない

二番花のまされる月下美人かな
二人姉妹をる家の月下美人かな
月下美人けふのわざなしとげてより

ベランダなどに置いておくと、花を見逃すことがよくある。

翌朝に萎えた哀れな花を見ると、気の毒なことをしたなと思うのであるが、そうなると二番花だけは見逃さないぞと注意して見るようになる。
一般には、初物が重宝されて二番煎じは興趣がそがれるものだが、月下美人に限っては二番花のほうが負けていないこともある。二番花だからこそ、開き初めから翌朝の姿まで注意してじっくり見ることはよくあるものだ。
この見逃す理由というのを考えてみると、香りが強すぎることがある。そばに置くととても我慢できないくらい香りが強いので、どうしても鉢を遠ざけてしまう傾向にあるのだ。
毎朝の水やりは欠かせないが、梅雨だからと省いてしまう日も多く、急激に成長する花芽を見落としてしまうこともある。
花は声を掛けてやると、花のほうでちゃんと応えてくれるというから、毎日寸暇を惜しまぬよう気をつけてみよう。

アルバイト

配達の氷痩せゆく大暑かな

切り氷を配達するシーンはもう見られない。

製氷庫から切り出された氷の板を麻布にくるみ、リヤカーやら運搬自転車に載せて、一軒一軒の氷型冷蔵庫に配達する氷屋さんだ。
たいていの客先は一日一貫の切り氷で間に合うので、麻にくるんだ氷の板をその場で一貫目に割って納める。それには、鋸を使うわけだが、全部を鋸でひいていては無駄がでるし時間もかかるので、ちょいと角に筋目を入れそこへ鋸の背をぐいと押し当てると見事にぱかんと氷が割れる。これを急いで冷蔵庫に納めるわけだ。
氷型冷蔵庫は昭和30年代の中頃まではあったと思うが、電気冷蔵庫の普及で一般家庭からも姿を消し、それとともに製氷業界も大きく変わったと思われる。

少年の頃、マイ自転車が欲しくて、一夏を氷屋さんでアルバイトをしたことがある。運搬車に氷8貫目ほどをを積んでよろよろと各戸を回るのだが、受け持ちエリアは昔から花街があったところで、朝のお姐さんのはっとする姿を垣間見ることもあった。
首尾よく手に入れた自転車は、輸出用のウグイス色の細身ボディで軽量スポーティタイプ、タイヤも腹が白い細身で当時としてはなかなかの洒落ものだ。通学もこれで通したが、その後あれはどうしたのだろうか、今となってはさっぱり思い出すことはできない。