謎多い石造遺物

酒船石涸るるにまかせ竹落葉

明日香はなぞの石造物が多い。

土木好きな斉明天皇が都の周囲にいろいろ作らせたという説もあるが、どれも諸説があって依然なぞのままである。
酒船石は明日香村の斜面にあるが、この村もご多分にもれず竹林が浸食していて、この遺跡のあるあたりも竹林に覆われている。
石にはミステリアスな窪みや溝が刻まれていて、全体に里に向かって軽い傾斜があって、水のようなものを流すような意図があるように思われる。もちろん、今は石だけが残されているだけで、その窪みや溝には竹の落ち葉が積もるばかりである。

不穏な空気

屋根シートめくれて茅花流しかな
紙コップ転がる茅花流しかな
読みかけの本伏せ茅花流しかな

茅花が絮になるころの南風。

湿気を含んで梅雨近しを思わせる風であるので、どちらかと言えば不穏な空気を予感させるものがある。
例えば、被害のあった家屋の屋根のブルーシートの一端が、いまにもめくれそうで、梅雨期の不安をいっそうあおっている。

一夜限りのベジタリアン

鶏鳴かぬ落人村の山椒魚

夏の季語だという。

名の由来は、山椒の香りがするからというが、オオサンショウウオならそうかもしれない。
一般には山椒魚は2,30センチくらいで、すらっとした肢体だから肉なんかあるかと思えるくらいだが、ところによってはこれを干したものを焼いて食わせる店や宿がある。
山深いところ、山椒魚は貴重なタンパク源であった集落だ。ここは、平家の落人が隠れ住み、鶏を飼ってはならないという決まりを長く守ってきたと伝えられている。
その村の宿では、山椒魚の焼いたものが目玉となっているが、ゲテモノが苦手な僕はイモリのようなものを顔の前に突き出されたら、さすがに顔をそむけてしまう。かくして、ほかのメンバーがうまいうまいとぱくついてるのを横目に、なんとも情けないベジタリアンになるしかないのである。

虎刈り

青草の墳墓まあるく刈られけり

円墳の部分に草刈り機が入っている。

裾からはじめてエンジンを唸らせながら、周りをゆっくり刈り上げていくが、土埃の匂いに混じって夏草が強く匂いたってくる。
ちょっと虎刈り模様だが、半日ほどをかけて頂上まで上っていくのだろう。

自宅葬

南天の花にふれたる喪章かな

家人が不在の間に、蕾であった南天の萼はおおかた散ってしまって黄色い雄しべ雌しべだけになった。

散った花片はあまりにも小さくて軽いせいか、勢いよく掃くと四方に飛び散ってしまうので丁寧にゆっくりと箒を使う。それでも、全部ちり取りに掬うのはできなくて、残ったのはタイルの目地などに張り付くなどしている。
往々にして人目につかないところに植えられていることが多くて日の目を見ることは少ないし、先ほども言ったように小さくて地味な花だから、面と向かってもなかなか句を授かることはできないで苦しんでいたが、逆にその狭さからヒントを得たのが掲句である。

故人宅での葬儀は今では珍しくなった。かつて、庭先から焼香したあと、狭い軒下を通って玄関脇に順路が設けられているのに何回か遭遇したことがある。その順路に南天を配してみるとこんなこともあるかなというシーンだ。
たいていは、家と境界の距離というのは1メートルくらいなので、木や花に触れないで通り抜けるのは難しい。まして、雨ともなったら花より高く掲げたりしなければならない。だが雨の場面として、花と傘のふれあいを詠むのはあまりにも月並みすぎる。ここは、さりげなく腕に巻いた喪章に狂言回しを務めてもらうこととした。
作りすぎの感なきにしもあらずだが。

急ブレーキ

一尺の甕をたばしる目高かな

商家の軒先に昔ながらの金魚鉢があった。

鉢も水も透明でよく維持されているが、どうやら飼われているのは金魚ではなく目高のようである。
思わず駆け寄ったら、それが目高を驚かせたようで、かれらは一斉に迸ったものの、哀れなるかな身の隠しようもなく、鉢の中をせいぜい10センチ程度移動したに過ぎないのだが、ブレーキがよく効いて集団が瞬間に停止するのは見事なものだった。

闇の妖精

蛍の闇に背筋を走るもの

漆黒の闇というのはぞっとするものがある。

蛍というのは、街灯もないところにこそ舞うものなので、よく見ようと懐中電灯を消すとそれこそ闇なのである。まして、雨の時期だから月もなくて真っ暗闇になることは多い。
最初のうちは夢中で蛍をカメラに納めようと楽しんでいても、やがて周りを見る余裕ができると、あらためて恐ろしい場所にいるのだと思い知る。そうなると、もういてもたってもいられなくなって、蛍狩りはお仕舞いになるのだ。
本来、蛍は人里にちかいところに棲息するものだが、最近は里の近くは蛍が生きられない環境が多くなった。だから、人里離れた闇の中はまるで異界のようにも思えてくるのだ。