運動会赤かて黄かて緑勝て
なぜだか、平日の今日運動会が見られた。
ちゃんとテントも設えてあるし、明日はまだ週末でもなく予行演習とは思えないのだが。。。?
もしかして、統合か何かで使われなくなった場所を小学校ではなく幼稚園か保育園が借りたのか?
運動会と言えば、赤組、白組が定番だと思うが、青いキャップのチームもいた。
今では教育の現場で順番、優劣をつけなくなったと聞くから、白黒をつけるというのは学校では死語なんだろうか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
運動会赤かて黄かて緑勝て
なぜだか、平日の今日運動会が見られた。
ちゃんとテントも設えてあるし、明日はまだ週末でもなく予行演習とは思えないのだが。。。?
もしかして、統合か何かで使われなくなった場所を小学校ではなく幼稚園か保育園が借りたのか?
運動会と言えば、赤組、白組が定番だと思うが、青いキャップのチームもいた。
今では教育の現場で順番、優劣をつけなくなったと聞くから、白黒をつけるというのは学校では死語なんだろうか。
からからと乾び蓮の実飛び頃に
飛ぶときがきたり蓮の実飛びにけり
蓮の花托の蜂の巣状に一個ずつつけた実は、とっくに飛んでしまっている季節だ。
花のあとでつけた青い実は食用にするが、このように乾いて皮が黒紫に変色した実は、蜂の巣の中でいつでも花托から外れるようになっていて、揺らすとからからと乾いた音がする。
これがさらに進んで写真にある花托のように枯れてくると直立の姿勢が保てず、まるで傘の骨が折れたようにうなだれて種がこぼれる。
これを「蓮の実が飛ぶ」として、秋の季語となっている。
根は蓮根に、種は来年発芽してまた花になり種を増やす。鉢の中でも十分発芽は期待できるということであるが試したことはない。
はたおりのおんぶの唄のなかりけり
はたおりのおんぶされる子見ている子
「はたはた」、「きちきち」、どれも「ばった」を言う。
この時期、庭に薄緑色したバッタがさかんにヒョイヒョイ顔を見せる。多くは小さくて雄のようである。
大根の双葉が開いたので、そろそろ虫除けネットをと用意していると、何匹かがネットに飛び込んできた。そのうちの一匹は雌のようで体長1センチほど、数時間たって戻ってみると、ネットに3センチほどの雌のおんぶバッタがしがみついている。おかしかったのは、その周りを何匹かの雄が取り囲んでいて、あたかもおんぶの順番を待っている子供のように見えたことだ。
はたして、おんぶばったはおんぶしたままキチキチと跳ぶかどうかはよく知らない。
芋虫の大きをここまで見逃しぬ
芋虫の踏むに忍びぬ太さかな
芋虫の太きは鳥にくれてやろ
青虫である。
芋虫の葉にいるものを言うが、蛾の幼虫であればその他の葉っぱを食い荒らすものも詠んでよさそうである。
蝶などは柚子などの柑橘類、山椒など、香りの高い葉っぱに来ることが多い。揚羽や蝶の幼虫は、小さい奴でもピンセットなどで抓めばツ〜ンとくる甘酸っぱい匂いを出して防御をはかるのは、放屁虫同様である。
すっかり大きくなったのは踏みつぶすのも憚れて、道に投げて鳥に拾ってもらうようにしている。
紅葉して楓の種の飛ぶ構へ
翼果よく色を極めて薄紅葉
ここ数年に比べれば、明らかに早い秋の訪れ。
庭の銀木犀が初めて咲いてくれたのも嬉しいし、数日前に蒔いた大根が昨日から芽を出してきたのも楽しい。
「彼岸蒔き」と言われ、春蒔きは彼岸過ぎてから、秋蒔きは彼岸までに済ませるといいらしい。奇しくもこのたびの大根蒔きはこの言い伝えに適っていたようだ。
掲句は、月例句会場にある楓の薄紅葉が見事だったので、その真下に立ってみて詠んだもの。
先日、NHK大河ドラマのタイトルに「衝羽根の実」だと書いたが、あれは全くの間違いで、実はこの「翼果」といわれる楓の種だったのだ。
春に実をつけたらすぐに落ちてゆくもので、夏や秋になっても残っているのは散り遅れだとばかり思ってたのが間違いで、実は葉が落ちてもこの翼果はまだ残っていて、冬の風が運んでくれるのを待っているのが正しいらしい。
紅葉の葉も美しいが、この全面に色づいた翼果も透き通るように美しい。
集会所表玄関金木犀
集会所裏に知られず木犀花
榛原では金木犀が咲き始めた。
盆地より幾分気温が低いぶん先に咲くのだろう。
昼前から雨が降り始めていたこともあって、咲きはじめとは言え香りは十分にあたりに広がっている。
三々五々集まる人は開口一番この木犀にふれて、今月の句会がスタートした。
今日の句会に向けて何日も苦しんだが、長谷寺に差し掛かり始めてからだんだんと彼岸花の赤が道路脇に広がってゆくのが見えて、ハンドルを握りながらこんな句がころっと頭に浮かんできた。
隠国もいよいよ奥の曼珠沙華
彼岸花車窓に初瀬を過ぐるとき
腸の焦げて哀しき秋刀魚焼く
銀膚の失せて秋刀魚の焼かれけり
秋刀魚火に旬の脂を惜しみつつ
秋刀魚焦がる旬の脂の尽くるなく
旬の脂噴きてやまざる秋刀魚焼く
庭に火をおこした。
たまには七輪で焼いた秋刀魚を食いたかったからである。
さて、炭火も十分におこり、ころはよしと網にのせたはいいが、あまりの火勢にたちまち秋刀魚が黒煙に包まれ、食べ頃となったときにはもはやあの銀色をした皮や身は溶け落ちて見るも無惨な黒焦げになったうえに、だいじな腸まで落ちてしまった。
火が強すぎたのに加え、秋刀魚の脂がのりすぎていたのだった。脂が炭に落ちて燃え上がるまでになったら、もう火の加減をコントロールするのは至難の業となる。塩二年炭三年ほども熟練の技が必要とされるのだ。
鰯丸干しなどはすぐに焼けるし、皮など少々焦げても文句ないが、どうやら生の秋刀魚だけは、火のピークが過ぎて、火勢が穏やかになってから焼くものだと学んだのである。遠火でゆっくり焼くという方法もあろうが、それでは水分が飛んでしまうような気がするが、はたしてどうだろう。