送られる

旧友のそれぞれが道十三夜

大学時代の仲間に送別の「北京ダックを食う会」を開いてもらった。
二次会はみな男声合唱OBなのでごく自然にカラオケへ。
若いときから持ち歌傾向が変わらないS君、常に最先端の歌を披露してくれるKu君、昔を知るものには信じられないほど宴会部長さながらに変身したKo君、などなど、それぞれがエンターテイメント性たっぷりにマイクが次々とバトンタッチされていく時間は瞬く間に過ぎていく。
締めの「贈る言葉」に送られたあと、最後は恒例の四部合唱による校歌合唱。
卒業後40年間折にふれ何度歌ったことだろう、この先再びこの歌を合唱することはあるだろうかと思うと熱いものがこみ上げてきた。

外へ出ると雨の十三夜へと変わっていた。

後の月 雨に隠れし 別れかな

下町歩き(続き)

権現の杜を借景薄紅葉

根津権現では、大鳥居の両端にある見上げるような銀杏がほのかに黄葉していた。
さらに降ると街路樹の櫻も薄紅に色づき始めている。
一方で、あちこちの街路樹は猛暑のせいで相当痛めつけられているようだ。
近所のハナミズキなどは褐色に葉やけしてしまって、実だけが赤いのが異様な光景に映る。
神社などに古くからある樹木というのは、水分や空気が根に十分供給されるなどして生育環境が破壊されずにいるのだろう。
街路樹の周囲をコンクリートで固めるなどは見るだに悲しい。

谷中歩き

警戒心宿せる猫や秋の風

昨日は同窓生による送別会。
東京に出て40年浅草に一度もない私のために、昼は東京下町歩き、夜は送別会を企画してくれた。
コース最初の谷中はかねてから一度は行ってみたい候補のひとつ。猫の町と聞いていたからさぞやまったりとした気分に浸れるかと思っていたが、あんに反してのっけから猫に警戒されてすぐに逃げられてしまった。
挨拶無しにいきなりカメラを向ければ、だれだって嫌われれてしまうのごく自然なこと。
猫たちだってちゃんと人を見る目を持っているのだった。

すっきりと

雨樋の葉づまり浄む秋日和

夜来の雨がやんだ。
仮住まいは雨仕舞いがよほどひどいらしく、夕べは何十年ぶりかの雨漏りを経験した。
さっそく点検してみたが、どうやら雨樋が落ち葉などで詰まっているのが原因だったようで、それが家の中にまで浸透していたらしい。
一夜明けてていねいに取り除くことにしたら、貯まった雨水がすうっと流れていく。
快晴の天気のように気持ちまでもすっきり晴れた。

今日は、初めての浅草歩きの日である。

日の暮れるまで

キャッチボールの児らに秋日傾きぬ

もう陽が沈みかかった公園を通りかかると、キャッチボールする子供たちの声が聞こえてきた。
どうやら、父親が野球の基礎を教えているらしい。
子供らも熱心に聞き入っては練習に余念がない様子。
Until the dark.

静かな朝

雨の音聞こえるだけの秋の朝

朝起きてみると妙に静かだった。
細かな雨がすべての音を吸音したみたいに、聞こえるのはわずかな雨音だけ。
時折通る車が濡れた路面をはねる音がするけれども、通り過ぎたらたちまち静かな街に戻ってしまう。

健在だが

秋の蚊の細き羽音を払いけり

秋の蚊の 払えるほどの 羽音かな

烏瓜の写真を撮るために庭に出た。
雑草をちょっと踏み分けただけで蚊がわんさと寄ってしまう。
ただ、夏の精悍な飛びとはまるで違い、どこか弱々しくて、片手で簡単に追い払えてしまった。