明るい林

竹落葉法にすがりて切り通し

風もないのにはらはら降ってくる。

古い葉を落としつつある竹林の明るいこと。すでに、若い葉が生まれているので光が透過するのであろうか。
切り通しを抜けて古都に入ろうとしたら、底だけではなく法面にも竹落葉がとどまっている。心なしか、この時期切り通しがいつもより明るいような気がした。

手植えか機械植えか

田植機の届かぬ隅の余り苗

とりあえず機械が入る部分は植え終わった。

隅はまだ植え残っているが、そこにひとかたまりの苗が置いてある。
おそらく明日か近いうちに手植えでもする予定なのだろう。そうなると、「余り苗」とも「捨苗」とも言えないかもしれないが、少なくとも今は余り苗である。
手植えされた田と機械植えの田の見分け方を聞いた。
真っ直ぐに等間隔に植えられているのは手植え、機械植えはどうしても真っ直ぐにはいかずグネグネ曲がっているのだという。そう言えば、糸を使って定規代わりにしていた光景を見たことがある。今はどうしているのか知らないが、何らかの定規や印をつけて植えるのだろう。

かろうじて

屋上にタオル干すなり麦の秋
三輪山の隠しやうなく麦の秋
松ッ阪へ行ってましてん麦の秋

素麺の町。

それなのに、かつて一帯がほとんど麦畑だったという面影はどこにもない。かろうじて大鳥居を望めるところに何枚かの畑があるだけだ。やはりここでも輸入小麦粉に頼るんだろうか。あまつさえ、製品を瀬戸内などにOEMしていたくらいだから、いったん地に墜ちたブランドを取り戻すのはさぞ大変だろう。

スカッと晴れた空に洗濯物を並べるのは気持ちいい。眼下には麦畑が広がっている。それを地上から眺めれば、女帝・持統さんになったような気持ちに。

誰にも聞かれず

夕刊は朝くる里のほととぎす
山の田を渡りつつあり不如帰

峠路に山荘が散在している。

なかには定住しているお宅もあるが、たいていは別荘として本来の使い方をされているようだ。
見渡したところポストもなさそうなので、郵便をだすにも下の里まで行くのだろう。
新聞だって律儀に朝夕届けてくれるかどうかは怪しいような山の中。
そんなまったく人影の見られない別荘地に、今年初めてのほととぎすを聞いた。どうやら別荘地の周りを巡回しているようで、耳を傾けて聞いているのは吟行子くらいだろう。

子育て真っ最中

開け放つ牛舎突き抜け夏燕

榛原の月例句会の今月は吟行句会。

二年前にも一度訪れた、名張に近い奥室生の山里である。
そこからひとやま越えた、人跡絶えた場所に大和牛500頭を育てている牧場があり。牛舎がいくつも並んでいるが、すでに夏とあって牛舎は全開。むき出しの梁には大きな扇風機がいくつも回っている。
いかにも夏仕様の、その開け放たれた牛舎を燕が一直線にくぐりぬけてゆく。その速さは夏燕にふさわしく素早くて、何度も突撃を繰り返している。そう言えば、牛舎の周りにはまくなぎが牛たちの鼻面をかすめて柱をなしていたし、子育ての餌となる虫たちがきっと多いにちがいない。

モスキート

図らずも一匹の蚊の同乗に

いよいよ蒸し暑くなってきた。

思えば、この10日ほどは暑かったが空気は乾いていたので我慢の範囲。
今日は気温は上がらずとも湿度が70%となると道理で蒸し暑いわけだ。
こうなるといよいよ蚊の季節到来である。
何の覚悟も決めないで庭に出たら、今年最初の洗礼を受けることになった。

裏年だが

臍のある旋毛のあるも柿若葉
下されし雨を諾ひ柿若葉
柿若葉触れて産毛のらしきもの

柿の葉がずいぶん大きくなってきた。

気がつけばいつの間にか花が実になっている。
昨年はずいぶんたくさん採れて、今年は順番で行けば裏作となるはずなのに、剪定がうまくいったのかそれなりの数を見せている。あとひと月もすれば葉も大人のそれになるんだろうが、色も若いし触ればやわらかい。
その葉をそっと撫でてみると何だか産毛があるような気がしたが。