限界値

古びたる猫にも慣れぬ暑さかな

人間の体温、平熱は35度から36度。

それに対して猫族は3度くらい高い。
だから夏にしがみつかれるととてもじゃないが長くいられない。それでは猫は平気かというとそうでもなさそうである。
やはり夏には膝に乗ってこようとしないし、蒲団にももぐってこない。冷房が効いていたとしてでもある。言われなくても一定の距離を保って過ごしやすい場所に身を置いている。
ただ、気温が体温を超えるようになるとさすがにぐたっとなっているのは人間同様である。人は冷たいものを口にしたり、体に当てたりしてしのごうとするが、猫族も最も楽に過ごせる場所を知っている。全身をおもいきり開いて寝転んでいるところがすなわち彼らの探しうる最適な場所なのである。
まあ、最近は無理しないですぐに冷房のお世話になるので猫の限界値を超えることはないのであるが。
関東の方では梅雨が明けたそうである。東の方の前線が北へ上がってしまったのだから、西もすぐに追随するのであろう。これまでの暑さは前座、いよいよ夏の真打ち、35度超えの日がやってくる。

蝉はまだか

濡れタヲル肩に乗つたる暑さかな

雨が来るのが湿気で分かる日だった。

夕方までは50数パーセント台の湿度で、30度を軽く超える気温で暑くはあったが家の中にいるかぎりはむしろ爽やかな風に恵まれていた。
夕方になって日陰ってきたので収穫に出かけたが、案の定雨がぽちぽちと当たる頃にはもう湿気が体にまとわりついて蒸し暑くてたまらない。昔ながらに冷たいタオルで体を拭き、上半身裸のまま冷房、扇風機に当たる。30分ほどしてようやく人心地ついたのであるが、そう言えば今年はまだ蝉の声を聞いてないことに気づいた。
いつもの夏なら朝からクマゼミがやかましいほど聞こえるのだが、聞こえるのは鶯ばかり。今年は蝉が少ないのだろうか。それともまだ暑さが足りないと言っているのだろうか。
いれば煩くてたまらないのだが、いないとこれもまた寂しいものである。

保温バッグ

水筒の水もだらけし暑さかな

日向へ置いておいた水筒の麦茶がもう生温い。

曇だと聞いて油断していたのだが、予報にさからって強烈な日差しが肌を刺す。この時期は水分補給に注意しないと身に危険がおよぶので注意しているのだが、さすがに夏日には冷たい茶なり水がありがたい。
生温い水、麦茶となると爽快感に欠けてしまうので、喉の渇きをいやすには物足りない。
明日からは保温バッグにでも入れて持ち歩かねばなるまい。
今日から名実ともに夏。熱射病対策はおこたりなく。

分解整備

エンジンのかからぬ農具くそ暑し

娘の置いていった刈払機がある。

10年も以上も前のモデルである。しかももう使うこともないだろうと雨ざらしになっていたものである。
今回これを何とか修理して動かそうと言うのである。
スタートのコイル交換、キャブレター分解整備がメインだが、テストでは電気、エンジン部分は正常のようである。
注文して置いた部品も揃い、いよいよ今日はガソリンを入れて試運転までこぎ着けた。
と、ここまではいいがポンプがその燃料を吸わないのだ。
いやあ、まいった。燃料系は交換が必要と思われる部品は交換済みである。殘りは組み立てミス、あるいはどこかで空気漏れがあるのかもしれない。
また最初に戻って調査開始だ。この暑いのにめげてしまいそう。
かけたコストは安い刈払機を買うよりも高くついてしまったので、もう後には引けない。

これが政府の節電対策

ボールペンインク濃くでる暑さかな

さすがに今日は限界だった。

何をするにも暑くて動きがどうしても緩慢になる。もはやと夕方にはエアコンが入った。今年最初のエアコン。
朝は、涼しいうちにと畑に行くとすでに来ている仲間の背が汗でしとどに濡れている。その濡れ方が尋常ではない。聞けばもう二時間もいるというので、すぐに引きあげるようアドバイスした。あのまま続けていたら脱水症、熱中症になるかもしれないからだ。
私も雨が続いて三日ぶりの畑でその間にすっかり大きくなった野菜たちを収穫してさっさと引きあげることにした。
昼はもう何もする気が起きなくなり昼寝となったが、猫どももぐったりのようすだ。
節電すれば月に20円ほどポイントをくれるという政府の節電対策だが、国民をバカにするにもいい加減にして欲しい。節電のために熱中症で倒れたら元も子もない。
それよりも原発いっぺんどうではなく真面目に再生エネルギー対策に取り組んで欲しい。

言うことなし

バンダナで髪かき上ぐる暑さかな

半年以上も髪切りに行ってない。

いくら伸びても頭頂部をおおうような毛髪はもはやないが、それでも側頭部、後部はゴム紐で束ねられそうなくらい。
あと2、3センチ伸びれば可能だが、それまでは襟首にうるさい。
そこで何十年も昔のバンダナを引っ張り出してきてはキャップがわりに巻き付けている。ちょっとぶかぶか気味のパナマ帽をのっければ悪くはない。
今はもうコロナ以外は何も怖くないので、笑われようが後ろ指さされようが平気である。歳をとるということはあれこれ考え悩むことも減ってなかなかいいことである。
渓山師のコメントにもあるように、自然に親しむのが一番。それでうまいものが食えるなら言うことなしである。

最後の夏

子の名前言へてしきりに暑がれる

母の最後の夏のこと。

家中のエアコンを動かして冷房を効かせているのにしきりに暑がった。
また、50才くらいから始まった難聴は、すでに完全に聞こえないレベルにまで進んでしまって、筆談でしか会話できない。おまけに認知症も加わっていて、会話は何度も何度も同じことの繰り返しだ。
ただ、救いだったのは、自分の子、孫の顔や名前をはっきり認識できていたことだ。親子、肉親と最後に暮らすことになって、少しでも気兼ねなく過ごせてもらえたと思いたいし、孤独感も幾分かは緩和されたろうと思いたい。