希求し続ける

録音の鐘が鳴るなり原爆忌

町内放送が町民に黙祷を呼びかけた。

毎年この日この時間になると流れる鐘の音。どこの鐘を録音したのか知らないが、毎年同じ音である。
戦争を知らない世代が大部分となった日本で、安易に仮装敵国を築いて声高に防衛力強化を叫ぶ論者が目立つし、マスコミもまた安易にそれを報じている。
田中角栄が語ったと言う、『戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。』という懸念が現実のものになろうとしている今、平和は努力し続けしなければ得られないことを再確認したい。

乾いた音

八月六日鐘鳴らす町ならぬ町
風炎の山吹き降ろし原爆忌

朝の一仕事が終わって一息ついていると放送があった。

行政の無線放送だ。テレビの中継に2秒ほど遅れるタイムラグがあるところは愛嬌だが、町民に黙祷を呼びかけている。
町によってはチャイムであったりするようだが、当町はどうやら広島の鐘の録音じゃないかと思えるような乾いた音に聞こえた。
それぞれの自治体ごとにこの日を悼むやり方があっていい。
個人もまた、それぞれのやり方で向かい合うがよいと思う。

人にしかできないこと

どの国の子供みな無辜原爆忌

理不尽な暴力の前に、いつの時代も犠牲になるのは子供。

地球上から人が殺し合うのがなくなるのは夢なんだろうか。
日本社会にも「不寛容」な気分が今ほど高ぶっている時代はないのではないか。
動物ではなく人にしかできないこと。学び、欲望にとらわれない心を養うことしかないと思うのだが。
脳幹ではなく、大脳が耕されることが大事なのである。

風化

語り部を継いで二代目原爆忌

総理と原爆被害者の会との会談の何と虚しいことか。

悲痛な希求に対する答えが国会答弁のそれと全く同じとは。
悲惨な体験から叫びに近いリアルな言葉に対して、空虚にしか聞こえない為政者の言葉、態度のギャップを見て、これ以上この国を冒険主義的な人々によって先導されないことを願うばかりである。

アメリカとかつて戦ったことさえ知らない若者がいることに唖然とさせられたが、唯一の被爆国であることもまた風化して行くのであろうか。