お茶を濁す

飼猫の喧嘩をさばく夜の秋

山の端に日が沈んだとたんに風に涼しさが加わる。

わずかずつだが秋の兆しを体で感じるようになったのは嬉しいが、昼間の日差しに射られるととてもじゃないが立っていられない。暦では秋だが皮膚感覚ではまだまだ夏のままである。
虫の声も少ないし、水もまだまだ生温い。秋の材料を求めるのは至難の業で、今日の句のように夏の句でお茶を濁すしかない日々である。

一入

校庭に映写機すゑて夜の秋

回顧であり夏の夜への回帰願望である。

夏休みとなると学校で映写会が催された。たいがい模範的な演し物ばかりだがこれといった娯楽が少ない時代の産物である。その証拠にはテレビが普及して一家に一台の時代になるとともに姿を消していった。
校庭の木などに結びつけられた幕は風などで映像も揺らぐがそれも愛嬌。明かりを求めて虫が集まり、ただでさえ雨が降るフィルム映画がなお古びて見えるのだった。僕の記憶ではオール天然色というのはなくてみなモノクロだったように思う。やはり古い映画だったのだろう。
当時の夏の夜の涼しさが一入懐かしく思われる。

よその国

空耳に雨の音聞く夜の秋

一雨ほしい。

庭の雑草でさえ水を欲しげに萎れている。
せめて夜を涼しくと玄関周りの草木にたっぷり水をふりかけてやると、一気に体感温度が下がる。
乾いてしまえばまた元の暑い風に戻るのであるが、たとえ水道代が上がろうとも止められない。
あと一週間辛抱だそうだ。そうなると平年並みと言うがそれでも33、4度もある。
なんか昔の尺度とは全く違ってるみたいで、よその国にでも来ているような。

残暑?

コンビニの灯に吸はれゆく夜の秋

溽暑のあとは極暑。

連日35度を超える日が続く。
だが、明日は立秋だという。
昨日も書いたが夜は風も出てずっとしのぎやすくなる。しかし、家の中は熱がこもっているのでエアコンが切れるところまではいかない。
明日からは同じ暑さでも残暑となるが、居残りの暑さという感じは全くなくていよいよ暑さ本番と言ってもよさそうな暑さである。

7年前の夏

介護ベッドこころみ起こす夜の秋

終末期の母が家に来たのは7年前の8月だった。

自宅で最後を看取ると腹を決めて、緩和治療医を近所に探し、レンタルの介護ベッドも用意して、万端整えて迎えたのである。
しかし、エアコンも四六時中効かせたが、もともと昔から暑がりであった母は、しきりに暑い暑いを繰り返した。
これが今年のような炎暑だったらもっと大変だったのは間違いない。
そうこうするうちに秋に入り、目に見えて母の状態が悪くなり、あっというまに帰らぬ人となってしまった。
この二三日、夜だけはいくぶん風が出たりして多少はしのぎやすくはなってきた。
暦のうえでは今年も夏の終わりとなってきたが今月も引き続き暑い日が続くという。あの年の夏が暑かったのどうか、今となってはさっぱり思い出せない。

愚痴、御託を並べる

サスペンスドラマに飽きて夜の秋

民放のドラマといえば夜九時から十一時までが多かった。

火曜何とかだの、土曜何とかだの、各局いろいろ知恵を絞っていたようだが、最近民放は滅多に見ないのでどうなったのだろうか。ドラマというと、大河ドラマ、朝ドラはだいたい欠かさず見ているが、NHKの単発ものの面白そうなものや、時代劇ものもたまに見ている。
ただ、二時間もあるようなサスペンスドラマなどは疲れるので最近は滅多に見ることはなくなった。
仮に見ていても、似たような俳優が似たような役をやっていて、役者の顔ぶれで犯人が分かってしまうのでつまらない。

さらに言えば、この春NHKの番組が五分刻みに変わったことで生活のリズムが狂って仕方がない。
それまでは毎日が一時間単位の暮らしに慣れきっていたので、七時半からだったクローズアップ現代が夜中過ぎに変更されたのが原因で、まずは七時半から九時までの夕食後のリズムがおかしくなったこと、そして見たい番組がクローズアップ現代の後になるなどして就寝時間との関係で見落とすことが多いことなどあって、NHKには文句を言いたいくらいだ。

いずれにしろ今日は面白そうな番組もなさそうなので、部屋を出てみたら外は意外に涼しい。
ああでもないこうでもないの愚痴を並べるよりも、大自然のリズムに任せた方がストレスもなくてよほど健康にはいいに違いない。

首まで浸かる

浴槽に浸るも久し夜の秋

風呂上がりが快適な夜だ。

ここ2,3日、ようやく夜の気温が落ち着いてきている。
いわゆる熱帯夜が続いている頃には体も火照っているせいか、風呂上がりの爽快感からは遠くエアコンの助けを借りてやっと一息つけるという有様だった。
だからいつもはカラスの行水程度だったのが、今日は首まで湯船に浸かってみても苦しくはない。

熱帯夜から解放されると思うだけで充分涼しいことは体が一番知っているようだ。