シニア女性

シニアらのラヂヲ体操暮遅し

昨年完成したシニア用公園からラジオ体操が聞こえる。

近くの団地のシニア会だと思われるが、いつも六、七名ほどが午後五時を知らせる街の防災放送を合図に集まってきているようだ。冬の間は四時ごろだったと記憶するが徐々に日が伸びてきて、春分の日だって近い。
最初の頃は男性もいたようだが、今はどういうわけか女性ばかり。女性長寿の傾向を反映してか、男性はここでも萎縮しているのかもしれない。
腰から来る間欠性跛行の症状があるので長い時間を歩けず、腰を屈曲するなどすると症状が治まり再び歩けるようになるので、いつも休憩を取る公園だ。元気な女性陣を横目に強ばった独り腰をほぐしているのも情けないものだ。

日曜日の思い出

赴任地へ父の戻りて暮遅し

ずいぶん日が伸びたと感じる。

関西なので六時になっても空はほの明るい。
お隣は単身赴任で週末には帰ってこられるが、仕事の始まる前の日には必ず任地へ戻る。会社規則で夜の運転が禁じられているらしく、昼間明るいうちに出発となってしまう。この間までは三時にはもう車がなくすでに発った後だったが、今日などは四時頃までは家にいられるにちがいない。
小さな子供たちにとっては大人になっても忘れられない、ちょっぴりもの悲しい日曜日かもしれない。

罪悪感

昼席のはねてココアの日永かな

昼間がずいぶん伸びてきたように感じる。

いつものようにZOOM句会が終わってもまだ一仕事できそうなほど日が高い。
午前中にやり残したものを片付けるにも十分な時間があるので助かった。
ところで、繁昌亭の昼席の終了時間は午後四時。ちょっと一杯といくにはちと早すぎる。甘いものでも食って、お茶でも啜って帰ろうかなということになる。
午後の定例句会もたいていは同じような時間帯に終わるが、飲兵衛はその時間にあいてる店を探すのが上手い。地下街などなら外が少々明るくとも罪悪感は芽生えてこないのは不思議である。

ノルマ

投げ込みのことり音する日永かな

郵便がこなくなった土曜日。

それでもセールスや教室案内の投げ込みのチラシは届く。
夕方することもなくくつろいでいるとポストに音がある。新聞はもう来たし葉書は来ない日だが各戸をまわる投げ込みだった。伸びた日をめいっぱい使ってノルマをこなしているのかもしれない。

無能政権

永き日のチャンネルどこも同じ絵を

食傷気味である。

話に心がこらず、そもそも嘘の固まりのような誠実の欠片もない人柄ときては、何を言っても空ろにしか響かない。
そのうえ、官僚の書いた格調も何もあったもんじゃない文言の羅列を数打ちゃ当たるとばかり、たった3分で足りる話を延々とその10倍の30分も原稿読んで、朝令暮改の所行をとくと見せつけられてドヤ顔されてはたまらない。
その日に食うもの、寝る場所さえ途方に暮れる人が巷にあふれているのに、百年の一度の危機を前にこの緊張感のなさはどうだ。
かくして、ただでさえコロナ疲れでフラストレーションがたまる一方なのに、為政者の無能をこれだけあからさまに見せつけられては、このブログも穏やかに済ませていられなくなってきたようだ。

餌の時間

エイチビーのポキポキ折るる遅日かな
永き日を捨つるつもりの書の前に

ずいぶん日が伸びてきた。

うっかりすると、猫どもの夕食の時間をとっくに過ぎていたりする。
もう炬燵にも入るような季節ではないのでうっかり昼寝ということもなくなった。ますます時間がだぶつくわけだ。
書棚一段分明ける必要が出てきたので整理にかかったが、選り分けた本の山を前に一冊をぱらぱらとめくり始めるともう止まらない。おまけに調子の悪いシュレッダーをごまかしごまかしもして結局数日もかかってしまった。
さあ、騒いでる猫どもに餌をやらなくちゃ。

蛮勇

前日に現地入りせる日永かな

もうそんな時期ではなかろう。

「日短か」という季語で読んでも決しておかしくないのである。
この「日永」というのは、やはり三春のうちでも初春、仲春の端境ころが一番雰囲気が合いそうである。
それより前だと、「日脚伸ぶ」の感じがまだ残っており、後であれば「日短」「短夜」を使いたくなる。

出張先で、相手が訃報とか、急に本社に呼ばれたとかの急用ですっぽり時間があくことがある。
その日のうちに帰れるとか、そうでなくても勝手知る場所なら途方に暮れることはないのであるが、初めての土地にぽんと放り込まれたりしたら。
この際ついでだからと観光を決め込む蛮勇もいいが、いずれにしても昏れるまでの時間はとてつもなく永く感じるものだ。
掲句は逆に、ちゃっかり前日までに現地入りして午後を楽しもうというのだが。
さて、現代ではこんなことしていたら、上司や部下に睨まれるに違いないか。