鷹日和

身を折りてあとは野となれ枯尾花

腰痛コルセットがようやく外れた。

久しぶりの万歩ウオーキングである。
朝こそ冷えたが昼間の天気転は申し分なく、ウオーキング日和。
今年の楓の紅葉は今ひとつだが、欅や櫟、樫の黄葉がすばらしい。
とくに今日は櫟、樫類の黄葉がみごとで、見上げれば青天とのコントラストも素晴らしく、何度も何度も足を止めるのであった。
欅はというとすでにピークは過ぎたようで、ちょっとした風でパラパラと降ってくるものも。
大鷹が悠揚と空を舞い、翻るときの瞬間に陽光が胸や腹にさして、それはそれは印象的な眺めである。
双眼鏡に小さな点となるまで追いかけて、その先をみると盆地をはるかに横切って斑鳩の方向へ向かっているようだった。

一将校成りて

犬の尾の触れみ触れずみ枯尾花

絮もほとんど飛んでしまった。

万骨枯るといった風情だが、意外にしぶとくて簡単には姿を消さない。へたすると冬だって越してしまうほどだ。
ま、しかし、枯れたのなら潔く土になったほうがいいと思うがどうだろうか。

「降りみ降らずみ」という言葉はあるが、この用法は許されるかどうか。

絮のほどけて

枯尾花ここださはさは空を掃く
暴れ川いま茫漠と枯尾花
暴れ川肥沃もたらし枯尾花
砂利採って尽きぬ中洲の枯尾花
州にダンプシャベルカー来て枯尾花
ここよりは車入れず枯尾花
下り来て大河デルタの枯尾花
舟下り芒枯るるを見るばかり
草として枯れ馴染みゆく芒かな
草として生きた証の枯芒
草として栄えある名負ひ枯尾花
背広着て芒枯れたるやうな背

ふんばって靡いているようでも今にも千切れそうである。

一面の芒原の穂はすっかり飛ばされて骨と皮だけなのだが、意外に弾力は残していて少しの風にも反応している。
春を前に焼け野となればまた新しい芽を伸ばしてくれるだろう。

和毛

狐の子群れ遊ぶごと枯尾花

狐も枯尾花も季語である。

この場合、枯尾花の揺れる様がじゃれている子狐の尻尾のようだと云ってるので、狐は副物、枯尾花が主として扱った。名阪国道・大和高原あたりは葉もすっかり枯れていよいよ冬の景色であった。枯尾もまだ風に飛ばされず、和毛のようになった穂が風になびいているのを狐の尻尾のように思えたのだった。